9月13日は明治天皇大喪の日。……ということは、午後8時のご霊柩出発の号砲を合図に殉死された、乃木将軍夫妻の命日でもあります。
今年は乃木将軍夫妻の百年祭でした。
……てな訳で、乃木神社では百年祭が執り行われ、元皇族の北白川さんご夫妻や、統合幕僚長をはじめとする陸海空自衛隊の幕僚長、東部方面隊司令や、伊勢の神宮の大宮司をはじめとする全国各地の神社の宮司さんらが参列しました。
別の場所では、乃木将軍夫妻が自刃の際に着用していた装束が展示されていました。カラーに血痕が多くついているので、乃木将軍の致命傷は、首を突いたものと思われます。静子夫人は守り刀で右胸をひと突き。
ちなみに自刃の理由は、西南戦争時に熊本で軍旗を奪われた責任を取ったもの。責任を取らせて欲しいと再三申し出たものの、明治天皇に「朕の存命中は自裁あいならぬ」と押しとどめられていた為、殉死の形式をとったのでした。
展示されていた遺言状(実物)によると、遺体は献体し、医学の発展に資するようにとのことでしたが、結局献体はされず、そのまま葬儀が執り行われています。
コメント
09月14日
06:29
1: U96
09月14日
20:08
2: 咲村珠樹
>U96さん
乃木邸には水師営にあった木の2世もあったりします。ステッセル将軍から送られた馬は、一旦陸軍の所有(軍規で個人が受け取ることが出来なかった為……ワイロに当たるからでしょうか)になった後、乃木将軍に払い下げるという経路をたどりましたね。
しかしつけた名前が「ステッセル将軍」から壽(す)というのはどうしたもんかと(^^;
1906(明治39)年に種牡馬として鳥取の農家に譲られて、最後は隠岐で死んだそうですね。23歳だったので、結構長生きです。