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闇従(あんじゅ)さんの日記

(Web全体に公開)

2021年
07月18日
21:24

【読書】東映動画史論

 ようやく本論を読み終えました(あと補論が残ってますが、これは東映アニメーションに改名してからの話)。
 この本は1956年に東映が日映動画を買収し設立した「東映動画」(現:東映アニメーション)について論じたもの。
 一般的に言えば、東映動画は非常に多くの作家たちの揺りかごだったともいえる会社。
 のちにジブリを率いることになる宮崎駿・高畑勲、大学教授としても教鞭をとった池田宏(片渕須直の先生でもある)、日映動画からのアニメーター大塚康生、時代は下って佐藤順一、西尾大介、幾原邦彦などなど色んな人が通っていった会社でもあります。

 白蛇伝はもちろん、マジンガーとかキャンディキャンディとかもここですが作品論でなく会社を見ていくのが特徴。

 東映動画は東映本体との関係、経営陣と労組との関係、社員と契約者との関係、会社本体と提携プロダクションとの関係、版権管理、様々な要素が絡みながらもその時代時代を生き抜いてきました。
 そして多くの人が「まるで教室のようだった」といわれるその所以を探っていきます。東映の傘下ということもあって映画人もたくさんいましたし、実写の監督迎えて制作したことも少なくありませんでしたからそういう試行錯誤みたいな空気が強かったようです。

 映画産業の斜陽、テレビ進出とその問題、安定して仕事を取り続けることの困難さ、あるいは「いかにして利益を出していくか」という苦悩。。一次資料も豊富で、当事者の発言なども折々引用され臨場感があります。

 そういえばこの界隈では「今の制作会社の苦労の原因は虫プロ」みたいな言説が力持ってる印象はありますが、当時の環境からすると特に大安売りしたってわけじゃないようですね。。単純に実写のほうが制作費が安いだけ。。そりゃ売り込むのに「製作費は実写ドラマの倍です!」って言われてその作品買う局ありませんよ。。同じ土俵に乗って戦おうとしただけ。。

 そして今やアニメ制作会社として東映アニメーションは結構特殊な位置に。長期テレビシリーズを中心にしてるところってここくらいですからね。それは東映動画がたどってきた歴史に深く根差していたのだと、少しわかった気分になったのでした。

コメント

2021年
07月19日
20:12

1: RSC

北斗の拳の不思議なゲームを作ってたのも東映動画でしたっけ。

2021年
07月21日
16:41

>>RSCさん
。。そういえばスーパーファミコンの大味な北斗の格闘ゲームもどきが家にありました。。

東映動画、80年代前半は角川がらみとかで色々劇場映画とか作れてましたがその後の模索のひとつがゲーム作成だったみたいなんですよね。。版権利用のひとつだったと思いますが、もちろんノウハウないので出来のほうは。。

2021年
07月25日
20:19

東映の歴史紹介の本ですね
手塚治虫の件は時々目にしますが
後々賃金は少しづつ修正されていったようですね

ただ、絵描きを個人経営としての採用などの形になるきっかけや賃金が安いという現状は
なかなか変わりにくい等の
負の形はやはり多少なりとも
影響は残ってるのがほんとらしいですね

古い時代を知ってるアニメプロデューサーの話に時々ちらっと出てきます

2021年
07月25日
21:00

>>あおねこさん
色々な契約の妙で実際には製作費補えるくらいなんとか虫プロも分捕っていたようです(東映動画は親元である東映から仕事を受ける形)。
ただ結局虫プロは潰れてしまうのでいかに厳しい環境下にあったかがわかります。。(のちに有志社員の手で再建)

カラー化で一気に経費が増大。
60年代から70年代は労使交渉も激しい時期であり、経営上労務政策にかなり力を入れていたこと(出来高による賃金体系の導入なども含む)、
テレビ作品では収入維持のため複数ラインを絶え間なく維持することが求められていたこと、
複数ラインを支えるには1社では極めて難しかったこと、
業界の成長に伴って外注できる体制が徐々に整ったこと(これは契約者としての人員整理・独立なども含む)、
などなど?
あと経済成長期にはテレビ作品で数年にもわたってくると制作費が増大しても契約料は据え置きという現象もありこれも経営苦しむ要因のひとつだったようです。長期シリーズはよさそうに見えてなかなか。。

元々アニメーションは手間も時間も非常にかかり、経費も高くつきます。他の競合メディアと競争する上で払った犠牲は大きい、という印象は受けます。