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闇従(あんじゅ)さんの日記

(Web全体に公開)

2020年
01月18日
19:12

【視聴】わたしは光をにぎっている

シネマクレールでの公開最終日で飛び込み。
とある地方。祖母のもとで暮らしていた20歳の澪。
祖母の入院、母の就活などの事情で東京にいる亡き父の友人に預けられることに。

行った先は小さな銭湯やってるところでした、と。
そんな感じのオープニング

口下手で思ってることをなかなか喋れない澪。
・・見てる方は若干いらいらします。
でも、それはきっと澪の速度感と私が合ってないだけで。
大体、見も知らぬ土地に突然行かされて戸惑うのは当たり前。
自分なりにやること見つけようとバイトに行ってみたり、
銭湯手伝い始めたり。

でも、そこは再開発指定区域。
紡ぐべき未来は閉ざされている。

小さなアーケード。
どこにでもあったような繁華のそばの飲食街。
あるいは、映画館。
そして銭湯。

銭湯がそこらじゅうにあるのはやっぱり東京だな、と。
主人公が大活躍して潰れそうなお店が立ち直るわけじゃない。
誰かが救い出してくれるわけでもない。
楽しかったと思えるように、良かったと思えるように。
今を一生懸命に生きる。

祖母が好きだという詩を読みながら、静かに終わるそういう映画。

山村暮鳥・自分は光をにぎつている

  自分は光をにぎっている

  いまもいまとてにぎっている

  而(しか)もをりをりは考へる

  此の掌(てのひら)をあけてみたら

  からっぽではあるまいか

  からっぽであったらどうしよう

  けれど自分はにぎっている

  いよいよしっかり握るのだ

  あんな烈しい暴風(あらし)の中で

  掴んだひかりだ

  はなすものか

  どんなことがあっても

  おゝ石になれ、拳

  此の生きのくるしみ

  くるしければくるしいほど

  自分は光をにぎりしめる

コメント

2020年
01月21日
09:48

救いがない内容と感じるのですが

ほんの少しだけある希望の光がとても切ない

2020年
01月21日
18:33

>>あおねこさん
最後まで見ると、割と明るい気分になれます。
きっと澪は「ああいうこともあったよね」と振り返ることができるのだと思います。

次に進むためにはきちんと終わりにすることも必要、
そういう前に進むだけじゃない人生を感じました。