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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2018年
12月31日
17:49

岩崎城と長久手の戦い(その1)

 愛知県日進市に岩崎城はあります。隅櫓をはじめとしてきれいに整備されたにもかかわらず、訪れる人の少ないところです。名古屋でも知らない人の方が多く、日進市に城があったのかという反応の方が大半です。
 だいたい日進市などという地名そのものが知られていなくて、もともとは愛知郡岩崎村でした。それが周囲の村と合併して町になった時に、合併した村の間で新しい町名の奪い合いがあって、その結果、今までの地名を名乗らず、新しい名前を付けてしまったという経緯があり、地名ではなく新出来の自治体名であるから馴染みがなく知られていないのです。
 愛知県下では、江南市や尾西市もそのような新出来の自治体名であり、名前をいわれてもすぐに場所が思い浮かばないところになっています。
 日進町から日進市になったときもいろいろともめて、やはり岩崎市にとの案に旧岩崎村以外の地区から反対が出て、東名古屋市などという血迷ったような市名案まで出て、市制に移行が一年以上も遅れてしまったということもありました。
 現在は旧城域の本丸部分には、周囲に石垣が張り巡らされて南側に三層四階の隅櫓が建てられ、櫓に付属する形で大手門が作られ、本丸内には入母屋風二階建ての資料館兼集会所が建てられていますが、旧城とは全く関係の無い建築物です。
 旧城は小規模な丘城であったと推定されています。江戸期には既に廃城となっている上に資料が少ないので、よく分からないが、城の周囲を巡る石垣はあったとは考えられないし、本丸の南向きの正面に大手門があったとも考えられません。北側に二の丸が残っているので、常識的にいって、北側に大手門があって、二の丸を経て本丸に至るような構造であったことは容易に推定されます。
 この模擬天守を作る際には税金は使われませんでした。岩崎城の旧城域を含む小山全体が町内の入会地となっており、城域の含まれない麓部分を建売り業者に売却して、その金で整備したのです。
 その為に、景観や資料的意義についての議論が一切行われなかったのです。墨俣城の場合は税金で建てたので、歴史を無視したあのようなものを建てる必要があるのかという議論がおきて、町長選挙の争点にもなって住民側にもその是非を判断する機会もあった訳ですが、このような建て方だと、入会地に権利を持っていた人たちさえ反対しなければ、それで良いということになってしまいます。
 本当に入会地に地権を持っていない一般市民は、何も言うことができないのです。史跡破壊になる、本当にこのような城があったという誤解を与える恐れがある、と思っても、あなたにそれを言う権利がないとの話になる訳です。
 本丸の北側に二の丸があるが、県道に面した側には駐車場が作られ、二の丸を半周する道路を作ったので、旧状は全く破壊されています、その上何を考えてか、名古屋城の二の丸庭園を模した、といっても圧倒的に小さいので、まるで棋型のような物であるが、庭園を作ってしまいました。意味がないという以上に、何かとんでもない勘違いをしているとしか思えないような整備のやり方です。
 ここの城を見ていると、ここまで意味のない物を作ってしまってどうするのだと思えてきますが、部外者が何を言ってみても仕方がないので、好きにやってもらうしかない訳で、史跡というよりは、菓子屋や寿司屋が客寄せに作った模擬城と同じ物と考えるしかなさそうです。
(つづく)

コメント

2018年
12月31日
21:15

考証を無視して作ったお城もどきですね・・もはや

2018年
12月31日
21:27

2: U96

>闇従(あんじゅ)さん
教育委員会や学芸員が一切関わっていなかったのが気になります。きっと自治体が文化財の指定をしていなかったのでしょう。私は昔、東京の中野区に住んでいましたが、庚申塔が寺の石垣に流用されていたのを見て仰天しました。目黒区では庚申塔は区立文化財の指定をして保護されています。