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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2020年
01月07日
21:19

魔窟アーカイブ:ドイツの巡航ミサイル、戦略ミサイル

 ドイツの飛行爆弾フィーゼラーFi-103は、巡航ミサイルの始祖と呼ばれております。よく言われる「V-1」「V-2」というのは、宣伝のためにつけた名称「Vergeltungswaffe(フェルゲルトウンゲスヴァッフェ)」つまり「報復兵器」1号、2号という意味でドイツ空軍内では使われませんでした。

 パルス・ジェットとは、タービンもなければ、圧縮機もない、実に簡単なジェット・エンジンで、前面の「くの字形」シャッター弁を通して空気が燃焼室に流れ込むと、燃料ノズルからガソリン燃料が霧状に噴射されて混合ガスとなります。
 このガスが点火プラグによって点火され瞬間的に燃焼。急膨張した燃焼ガスはエンジン内を前方に向かうが、その動きでシャッター弁を内側から閉じてしまって逃げ場を失い、細くなっているエンジン尾部から高速、高圧で吹き出して推力となります。
 噴射後は圧力が下がるのでシャッター弁が開くというサイクルを毎秒47回繰り返して350kgの推力を出すようになっていました。
 使い捨てのミサイルには打って付けの、簡単、安価なジェットエンジンで、運用上の欠点といえば、前面から空気を流入させるために長さ50m程度のカタパルト上を前進させる必要があったことくらいでした。

 Fi-103は外部誘導のない完全自律飛行、というより、設定された距離を真っすぐ飛ぶとエンジンを止めて落ちるだけなので、妨害されることもありません。ただ速度が650km/時程度なので、対空射撃や戦闘機による迎撃も可能でした。 
 イギリス軍は沿岸部に阻塞気球と対空砲、対空ロケットを並べ、スピットファイアMkXⅣなどの戦闘機で迎撃しました。ドイツ軍はこれを見越して、ジャカジャカ作ってドンドン飛ばしました。
 1944年6月から1945年3月末までに約9200発がイギリスに発射され、4000発以上が撃墜されましたが、2万4000人以上の死傷者を出しています。
 撃墜したFi-103を入手したアメリカはさっそくコピーし、JB-2(陸軍用)、LTV-N-2(海軍用)として制式化、日本に投入する予定でした。

 Fi-103はドイツ空軍の兵器でしたが、世界最初の弾道ミサイル、A4ロケットはドイツ陸軍の兵器でした。「A」は秘匿名「Aggregat(アグガレーテ、集合体の意味)」の頭文字です。
 1942年に打ち上げに成功していましたが、その後のテストは失敗の連続でなかなか実戦配備できず、初の実戦投入は1944年9月になりました。
 最初は連合軍が入城したパリに発射されましたが、2発とも墜落して失敗に終わり、同日午後に発射された2発がロンドンに命中しています。命中といってもロンドンおよび周辺部のどこかに落下する程度でした。世界初の実用的慣性誘導システムを搭載したA4も、当時の技術ではこれ以上の命中精度は無理でした。

 マッハ3の超高速で最大高度80kmから降ってくるA4は、当時の技術では対処のしようがなく、連合軍は工場を爆撃して生産を止めさせるか、発射前に爆撃で破壊するしかありませんでした。しかしながら、工場は地下に疎開していましたし、発射直前を捉えることは難事でした。発射ポイントに移動して打ち上げに要する時間はわずか4~5分で阻止出来た例は1件もないようです。
 効果があったのは、道路や鉄道網を執拗に攻撃して、本体や燃料の輸送を寸断したことです。結局、A4の発射を食い止めるには陸軍がドイツ領内に侵攻して占領するしかありませんでした。

 ちなみにロンドンに撃ち込まれたA4は500発前後ですが、連合軍の補給源だったベルギーの港町アントワープには、920発が撃ち込まれています。

 Fi-103もA4も技術的評価は素晴らしいものでしたが、軍事的価値はほとんどなかったのが実情です。軍需相アルベルト・シュペーアは戦後の回顧録で、技術的集約性が高いゆえに製造が難しく、コストも高く、莫大な労働者と資材を投入しなければならなかったA4の生産決定を「私の最大の誤り」と述べ、「あれ一基生産する労力で戦闘機が何百機つくれただろう」とも述べております。