おたくの為のSNS おたくMk2

U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : 潜水艦

2019年
04月11日
19:57

オーストリア・ハンガリー軍の潜水艦部隊(その3)

 続いてハウス提督は、全潜水艦の艦長、とりわけフォン・トラップ中尉を、戦争が始まってこれまでの間、何ら積極的な活動を見せず、戦果も収めていないと、こき下ろしました。さらには、装甲巡洋艦を撃沈したことがある艦長に対しても、どうしてそれ1隻だけでなく、艦隊全部を沈めてしまわなかったのかと罵声を浴びせる始末でした。
 潜水艦部隊の司令官、フランツ・リッター・フォン・テイリー中佐は、ハウスの圧迫に対し、部隊をカッタロへ移動させる許可を求めました。これにより潜水艦部隊の活動海域は南に広がり、アドリア海をオトランド海峡で封鎖している連合軍の艦船に対し、攻撃を行なえるようになります。しかしその案は否決されたため、テイリーは各潜水艦に、活動可能範囲ぎりぎりで行動するよう命じたのでした。
 潜水艦部隊が最初の成功を収めたのは、1914年12月12日のことです。U-12がモンテネグロ沖で、フランス軍の戦艦<ジャン・バール>を損傷させました。この戦闘は、フランス軍が主力艦をアドリア海から撤収させるという、戦略的戦果に直結しました。その時以来、アドリア海における戦況は手詰まりな状態が続いたのでした。オーストリア・ハンガリー軍はオトランド海峡の南へ進出できるほど、戦力も航続距離もなく、一方で連合軍がそこより北へ進出してくるのを、潜水艦部隊が妨げていました。
(つづく)

コメント

2019年
04月11日
20:43

1: RSC

フランス海軍はいいとこありませんね・・・

2019年
04月11日
22:12

2: U96

>RSCさん
はい。アドリア海が危険海域になったと過大評価をしたのでしょうね。