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U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : 潜水艦

2019年
04月12日
20:50

オーストリア・ハンガリー軍の潜水艦部隊(その4)

 1915年5月にイタリアが参戦したことで、戦略的拮抗状態に大きな変化は訪れなかったのですが、同年後になってドイツ軍が艦隊潜水艦を地中海に派遣したことは、非常に重要でした。より作戦範囲の広いドイツ軍の潜水艦によって、中欧諸国は中部地中海を通る連合軍の海上交通路を、射程距離に収めることができたのです。中欧諸国の潜水艦による通商攻撃は大きな成功を収め、連合軍は「オンタリオ障壁」の名で知られることになります。オンタリオ海峡を横切る対潜水艦障壁を保持するため、多数の艦船を配置しておかなければならなかったのです。フォン・テイリーにとってより重要なことは、ドイツ軍の成功とイタリアの参戦により、ハウス提督がついに、潜水艦の補充を決めたことでした。
 依然としてハウスは批判的な態度を崩さなかったのですが、1915年に海軍が上げた戦果の殆どは、潜水艦部隊によるものでした。潜水艦部隊はイタリア軍をダマルティア沿岸から遠ざけ、ラグスタ島からの侵攻部隊を避難させました。巡洋艦と潜水艦を沈められた後、イタリア軍にとっては、潜水艦が存在するというただそれだけのことが、主力艦隊を引き揚げさせるに充分な理由となりました。ハウスは、限定された海域ではあったのですが、制海権を掌握しました。守備隊が孤立してしまうことを恐れたイタリア軍は、島嶼の守備隊を撤収させました。
(つづく)

コメント

2019年
04月12日
21:22

1: RSC

この時期オーストリアは中国に依頼された巡洋艦を建造していたそうですが、イタリア軍に造船所ごと奪われ、それをまた奪い返すなんて事もやっていたようですね

2019年
04月13日
04:57

2: U96

>RSCさん
それは存じませんでした。ご教授ありがとうございました。