4月3日、晋の杜預は完全に孤立した江陵に本格的な攻撃を開始しました。呉の江陵都督 伍延は偽って降伏を申し出て、兵を城壁の上に配置し、逆襲を狙っていました。しかしこれは杜預に見破られ、総攻撃を受けて江陵も陥落しました。江陵の陥落によって杜預の軍の当面の目的は達成されました。その頃、胡奮の軍も江安(湖北省江安)の攻略に成功していました。
4月4日、王濬は平東将軍・仮節・都督益梁諸軍事に昇進し、さらに晋帝 司馬炎から次のような今後の方針に関する詔(命令)が発行されました。
1、王濬、唐彬はそのまま東進して巴丘を掃討せよ
2、王濬、唐彬は胡奮と協力して夏口を、王戎と協力して武昌を攻略せよ
3、武昌攻略後、王濬の艦隊が秣陵(建業)を目指すかどうかは胡奮、王戎と協議の上、判断せよ
4、杜預はそのまま南下し、荊州南部の諸都を鎮圧せよ
5、王濬、唐彬軍に次のように増援を与えよ
杜預は1万を王濬に、7千を唐彬に与える
夏口を攻略した場合、王戎は6千を唐彬に与える
6、太尉 賈充は襄陽から項に移り全軍を指揮せよ
(つづく)
コメント
03月30日
21:19
1: 闇従(あんじゅ)
巴丘、夏口が落ちれば武昌は丸裸。
長江と漢水を繋ぐ水運の要衝で商業都市でもある武昌を失えば、もう経済的にも厳しいですね‥
03月30日
21:34
2: U96
>闇従(あんじゅ)さん
はい。武昌を失えば、長くは戦えないでしょう。しかし、まもなく夏が近づいているのです。疫病の季節です。
03月31日
05:41
3: 恋刀
U96師へ
お早う御座居ます、失礼致します。
>詔(命令)が発行されました。
一生ご縁がないからこそ、発行する側の心理面に興味が御座
居ます。
いつも 有り難う御座居ます
失礼致しました。
03月31日
06:29
4: U96
>恋刀さん
はい。一世一代の命令ですものね。
どんな心境だったのか、私にも分からないですね。
分からなくて、ごめんなさい。