呉の具体的な作戦については張悌にすべてが任されていましたが、晋の軍が牛渚まで進んだときに、今後の方針について張悌と沈瑩の間で論争が起きました。
沈瑩の情勢判断と意見は次の通りです。
1、長江沿岸の諸城は指揮官に人材がおらず、晋の水軍の進撃を防ぎ止めることはできない
2、牛渚に駐屯して兵力を蓄え、この地で晋の水軍と決戦する。水軍を撃破してしまえば、長江の北がいくら占領されていても奪回可能である。
3、長江の北で決戦を挑み、勝利しても北側を保つことはできない。最後の切り札であるこの軍が敗北するとと国家の滅亡は必至となる
これに対する張悌の情勢判断と意見は次の通りです。
1、牛渚で防御する場合、晋軍が首都近郊まで来るので、民衆に不安が広がり、収拾がつかなくなるおそれがある。また軍隊は待っている間に士気が崩壊し戦わずして分解してしまうであろう。
2、長江を渡って決戦し、勝利すれば北からの敵を敗走させて北の脅威を取り除き、その勢いを使って長江をさかのぼり、長江を進撃してくる敵と戦うことができる
最終的に張悌は自分の意見に従って長江を渡って北上し、横江を目指して南下する王渾の集団と決戦を行なうことを決断しました。
(つづく)
コメント
03月26日
21:42
1: 闇従(あんじゅ)
・・なんだかどっちもどっちって感じですね・・人材難・・
とはいえ、張悌の意見は「たられば」が多すぎて。
まだ沈瑩のほうがわかります。
これが呉滅亡直前の状況‥経済的優位に立ってることを認識して耐える方を選ぶべきだったでしょうに。勝たなくてもいい。負けさえしなければ、相手は退くのに。
03月26日
21:49
2: U96
>闇従(あんじゅ)さん
私も天然の要害、長江を渡るのは反対です。晋は一度でも撃退されれば、軍を退くかもしれませんね。
03月27日
00:39
3: 葛湯
画本三国志という本を昔読んだことがあって横山三国志と違って呉滅亡まで描かれていたのが印象的でしたね。
この論争ではないかもしれませんが、呉の指揮官同士で論戦していたシーンがあったことを覚えてます。
画本では孫皎?の影響で呉に勝機はなさそうな感じで描かれていたような気がします。
03月27日
05:50
4: U96
>葛湯さん
何か聞いたことのある本だなとアマゾンで調べると、神戸にゆかりの深い陳舜臣氏の翻訳だったのですね。
孫晧でしょうか?
03月27日
06:29
5: 退会済ユーザー
葛湯さんの云う画本三国志、私が通っていた高校の
図書室にあったアレかな?
水墨画っぽい線画の・・・・
あれは私の画風にいらん影響を与えたなあ・・・
03月27日
14:53
6: U96
>倶利伽羅いちろうさん
結構好きだったのではないですか?
03月27日
21:30
7: CAOCAO
兵力差や国内の乱れ方を考えると八方ふさがりで、どちらの手をとっても結局は駄目だったのでは…?という感じがします
03月27日
22:20
8: U96
>CAOCAOさん
やはり天然の要害、長江をあてにして、長江のどこで攻勢に出るかになるのではないでしょうか。国力差はいかんともしがたいと思います。