羊祜は呉の軍事面の有利な点が水軍の力にあることを認識していました。そこで呉を滅ぼすには、その水軍と少なくとも互角に戦える強力な水軍を建設することが不可欠であると考えていました。羊祜はその担当者として、かつての部下の王濬に目をつけました。王濬は益州各地の太守を歴任した後、益州刺史に昇進して高い成績を上げていました。王濬は現地の事情に通じており、現地の民衆、軍隊に人気があり、荊州の上流の益州において水軍を建設する任務にはうってつけの人物でした。
王濬が右衛将軍・大司農に任命されて中央に招かれる予定であることを知った羊祜は密かに司馬炎に申し出て、彼を益州刺史に再任し、水軍建設にあたらせることにしました。司馬炎の水軍建設の正式命令を受けた王濬は、益州において軍艦の建造と兵士の訓練を開始しました。彼が建造した主力艦はそれまで中国で見たこともないような巨艦でした。その船は2隻の大型艦を結び付けたもので、周囲の長さが合計で約147m(推定で長さ約58m、幅約29m)、2千人を越える兵士を乗せることが可能です。この巨艦は水の上に浮かぶ城というべきもので、木板を城壁とし、高楼を建て、四方に門を設け、その上では馬に乗ったまま移動が可能です。船首には長江の神へのまじないのために水鳥や怪獣が描かれていました。このように来るべき呉遠征の日に備えて王濬は強力な水軍を作りあげていました。
(つづく)
コメント
03月12日
20:38
1: RSC
司馬炎もあまりいい印象のない人ですが、この時は迅速に決断を下していますね。
03月12日
21:08
2: CAOCAO
(まだ砲はないですが)古代の大艦巨砲主義ですね
まぁ、もっと遡れば紀元前のギリシャやローマにも巨艦があったかもしれないので「最古」とはいえませんが
03月12日
21:19
3: U96
>RSCさん
はい。水軍の創設は時間がかかります。まずい事にそのうち羊祜が死んでしまうのです。
03月12日
21:22
4: U96
>CAOCAOさん
要目だけをみると強襲揚陸艦のようにも思えます。2千人の兵士をどこへでも輸送できそうです。