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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2019年
02月12日
20:23

岩崎城と長久手の戦い(その10)

 堀秀政隊の敗兵が駆け込んできた時には、追尾していた徳川勢は、岩崎城の麓にたむろしている池田恒興勢を東から北にかけて囲むように展開してしまっており、羽柴秀吉の本営がある楽田方面への退路は完全に塞がれていました。
 徳川家康の本隊三千を右翼として、井伊直政隊三千を左翼として攻めかかってきました。織田信雄勢三千は予備隊として後方に控えていました。
 池田方は、秀政の敗兵が駆け込んできて初めて敵襲を知ったような状態だったので、なにもかもが後手にまわり、恒興の本隊を後方に置き、右に池田元助を左に森長可を展開させて迎え撃つ形を取りあえず作ったが、平地に居るので圧倒的に不利でした。
 この戦いに加わった人数は、徳川方が九千、池田方が八千で人数に大差はなかったのですが、高地を占領していた徳川方が地形上も有利であった上に、退路を塞がれてしまったという心理的な動揺もあって、初めから池田勢は浮き足たっていました。動揺する軍勢を静めて、改めて決死の覚悟を持たせるような大将としての器量は恒興にはない。徳川勢が突撃するとともに、池田方は踏んばることができず、一気に崩れさったのでした。
 同程度の人数が戦った野戦でこれ程鮮やかに、そして短時間に勝敗が決まるというのも珍しいのですが、それにしても池田勢は余りにも脆かったのです。森長可は鉄砲で射落とされ、池田元助は乱戦の中で討ち取られ、恒興は退却を諦めて、兵が逃げ散った後も覚悟を決めて陣所を動かずにいたところを永井伝八郎に槍を付けられ討ち取られることになりました。
 恒興の家臣の多くは、織田信長の死後恒興に属した者が殆どであったから、織田家をあっさりと見捨てて秀吉に属したこの人物を命を捨てて守ろうという気持ちは、さらさらなく我先にと逃げ散ってしまい、本陣に止まろうとする者は皆無だったといいます。池田家の脆さというよりも、織田家の遺産を横取りして成立した秀吉の政権の体質がそういうものであり、生活の為に今の主人に取りあえず属しているというのが実態でした。
(つづく)

コメント

2019年
02月12日
21:01

1: RSC

狂戦士と言われて人気のある長可もかなりあっけなく討ち取られていますね。愛用の人間骨無も三河衆と切り結ぶ事無く終わってしましました。

2019年
02月12日
21:09

2: U96

>RSCさん
はい。あっけないですね。次回は最終回になります。少し休むかもしれませんが、もう一度三国志を書こうと思います。テーマは「呉の滅亡」です。

2019年
02月13日
06:29

3: 退会済ユーザー

秀吉ちゃんは織田旧臣の中で比較的に位が高くて命令し辛かった恒興ちゃんをこの機会に家康に討たせて排除し、
他の織田旧臣にモノを言い易い環境を作るために今回の
岡崎城攻めを許可したとか何かの本に載ってました~~

2019年
02月13日
17:26

4: U96

>倶利伽羅いちろうさん
えっ!信長の乳兄弟を盟主に祭り上げて、織田家の家臣を横取りしょうとしていたと思っておりました。