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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2019年
02月09日
18:54

岩崎城と長久手の戦い(その8)

 さて岩崎城は、当主の丹羽氏次が兵の殆どを引き連れて小牧山に参陣していたので、弟の氏重が十数人の兵で城の留守を預かっていました。小牧での対陣を考えれば岩崎城は後方であり、敵襲など考えもしなかったので、本当に留守番程度の人数しか置いていなかったのです。池田恒興軍の接近を知った氏重は、城近くの農民百人ばかりを急いで城に入れ、城の防備を手伝わせたといわれます。
 氏重は城の東側を通過する恒興勢に対して鉄砲を撃ちかけさせました。無論届くはずのない遠鉄砲です。氏重が徳川家康や織田信雄への忠誠の為に、城の全滅を賭して恒興勢を足止めするために、鉄砲で挑発したと諸書に書いてありますが、実際はそのようなきれい事ではなかったでしょう。
 岩崎城の丹羽氏は地生えの国人であり、織田家の譜代ではない、たまたま清州会議の結果、尾張を信雄が領することになったので、それに属しているにすぎず、三河の家康に至っては全くの他人です。全滅を賭して敵の足止めをせねばならない程の義理はありません。では、どうして鉄砲を撃ちかけたかというと、黙って城下を通過させては敵に内通していたからではないかとの疑いを信雄からかけられる、届かない遠鉄砲を撃ちかけて抵抗した形だけ整えておけばそういう疑いはこない。
 常識的に考えれば、恒興勢は岩崎城のような戦略的価値のない小城などは無視して通過するはずであり、氏重も当然そう考えていたはずです。ところが恒興は、氏重の遠鉄砲に怒り、全軍に岩崎城の総攻めを命じたのです。
(つづく)

コメント

2019年
02月09日
22:21

1: RSC

まさか銃弾が馬印にでも偶然命中してしまったり、なんて事でもあったのでしょうか。

2019年
02月10日
06:55

2: U96

>RSCさん
有効射程が百メートルくらいなので、無理でしょう。音と煙はすごいです。