7月20日、マクダウェル少将は旅団、師団の指揮官をテントに招き、翌日の作戦について議論しました。多くの将官は、10キロ近く南のマナッサス駅から一日中列車の発着が聞こえていたことから、決戦は延期ないし中止すべきだとの意見でした。明らかに、南軍はシェナンドア渓谷のジョンストンの軍を呼び寄せたのでした。
しかし、マクダウェルの決意は固かったのです。今攻撃しなければ多くの兵の兵役期限が切れ、少なくとも半年間は次のチャンスはなかったのです。マクダウェルは、テント内の地面に大きな地図を広げ、各部隊の任務を指示しました。ダニエル・タイラー准将指揮する三個旅団はブルラン川にかかる石橋を攻撃する。イズラエル・B・リチャードソン大佐の指揮する旅団はブラックバーンとミッチェルの浅瀬を守る南軍に向けて南下し、示威行動をする。ただし、これらの動きはいずれも南軍の目を主力からそらすためのものでした。その主力とは、遠大な側面迂回行動によって数キロ北のサドリー・スプリングズの浅瀬から攻撃をかけるものでした。
北軍は午前二時を少し過ぎたころから行動を開始しましたが、タイラーの三個旅団が石橋近くの定位置についたときにはすでに六時半になっていました。三発の砲声で戦闘の開始が告げられました。
(つづく)
コメント
11月12日
19:30
1: RSC
兵役起源が切れて戦闘継続が難しいというのは、何かの冗談みたいな話に思えますがそんな事がよく起こるのでしょうか?
11月12日
19:34
2: U96
>RSCさん
分かりません。しかしながら、ナポレオンが市民軍を作る前は傭兵と貴族しか兵がいませんでした。彼らは戦いに敗れると勝手に帰郷してしまいます。