ロンドンとパリではセヴァストポリ陥落の知らせを聞いた市民が歓呼して街頭に繰り出し、踊り、乾杯し、愛国歌を歌いました。セヴァストポリ陥落は戦争の終わりを意味すると多くの人々が受け止めていました。セヴァストポリの海軍基地を奪取し、黒海艦隊を壊滅させることこそが連合軍の戦争目的でした。少なくとも、大衆にはそのように伝えられていました。その目標が達成されたのです。しかし軍事的な観点から言えば、セヴァストポリが陥落したとしても、それはロシアの全面的敗北からは程遠い話でした。ロシアを屈服させるには大規模な陸上作戦によってモスクワを占領するか、あるいはバルト海海戦に勝利してサンクトペテルブルクを落とす必要がありました。
セヴァストポリが陥落すればロシア皇帝は講和を求めざるを得ないだろうと考えていた西側の指導者たちは、すぐに期待を裏切られたのです。セヴァストポリの敗北を国民に告げるために発せられたロシア皇帝の声明は挑戦的な調子で書かれていました。9月13日、アレキサンドル二世はサンクトペテルブルクからモスクワに移動しました。1812年7月のナポレオン侵攻に際してアレクサンドル一世がモスクワに姿を現わした時の劇的効果を再現しようとする演出でした。9月14日、アレクサンドル二世は最高司令官ゴルチャコフに書簡を送りました。「1812年を想起せよ。セヴァストポリはモスクワではないし、また、クリミアはロシアの一部にすぎない。モスクワは焼失したが、その二年後には、我が軍は勝利してパリに入城した。我々は当時と同じロシア人であり、神は我らとともにある」
アレクサンドル二世は戦争を継続するために様々な構想を練り、9月末には、翌1856年にバルカン半島で新たな攻勢に出るための詳細な作戦を策定しました。それは正教徒のスラヴ民族を扇動して民族主義的反乱とパルチザン活動を展開させ、それを契機としてヨーロッパ全土でロシアの敵と戦う戦争でした。和平交渉推進派のネッセリローデは「ロシアの名誉を傷つけない」内容の和平案が西側から提案されれば歓迎する旨をオーストリアに伝えていました。しかし、当面、サンクトペテルブルクとモスクワでの議論の焦点は戦争継続の方法でした。たとえ、それがロシアにとって有利な和平条件を連合国側から引き出すための虚勢だったとしても、戦争継続の姿勢を示すことが必要でした。アレクサンドル二世はフランス国内に厭戦的な気分があることを察知していました。その一方で、アレクサンドル二世は英国が和平に消極的であることも承知していました。パーマストン首相にとっては、クリミア戦線は世界におけるロシア帝国の力を弱体化するための大規模戦争の出発点でしかなかったのです。英国の世論も全体として戦争継続を支持していました。
英国は小アジアとカフカスの戦線をなおざりにしてきましたが、ここにきて、ロシア軍に包囲されたカルス市の防衛が重大な関心事として浮かび上がりました。アレクサンドル二世はトルコの要塞都市カルスに対する軍事的圧力を強めることによって、セヴァストポリ陥落後の和平交渉を有利に運ぼうと目論んでいました。ロシア軍がカルスを奪えば、エルズルムを経てアナトリアに進出する道が開け、それによってインドへの地上ルートに関する英国の利益を脅かすことが可能となります。
(つづく)
コメント
09月14日
19:20
1: RSC
勝利も敗北もまた欲望を呼ぶのが常ですね・・・。
09月14日
19:29
2: U96
>RSCさん
恐るべし汎スラヴ主義!!
09月14日
20:11
3: ディジー@「本好きの下剋上」応援中
ここで終戦できれば良かったですのにね。
近代戦争は広い世界地理の知識が必要だわ^^
09月14日
21:06
4: U96
>ディジー@「本好きの下剋上」応援中さん
はい。まだ続くのです。
フランスがもう助けてくれないので、戦局は英国にとって意外な方向に向きます。