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U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : クリミア戦争

2018年
07月28日
20:08

クリミア戦争史(その26)

 冬の数カ月間、戦闘は休止期間に入っていました。その間、英仏軍とロシア軍の双方が防御態勢の強化に集中しました。連合軍側では、主として、フランス軍が塹壕掘りの作業にあたりました。英国軍陣地は岩盤の上に位置していたので、塹壕掘りは困難でした。攻囲戦の11カ月間に仏軍が掘った塹壕の延長距離は66キロに達したが、英国軍の塹壕の延長は15キロにすぎませんでした。氷点下の気温に耐え、絶えず敵の砲撃にさらされつつ、硬い凍土を掘り起こし、岩盤があればダイナマイトで爆破して掘り進む作業は消耗の激しい危険な作業でした。「塹壕を1メートル掘り進むたびに兵士1人の命が失われた。いや、2人を失うことも稀ではなかった」と仏軍第1ズアーヴ大隊のルイ・ノアールは回想しています。
 ロシア軍側も精力的に防御態勢を強化していました。天才的な工兵総監エドゥアルト・トートレーベンの指揮の下、ロシア軍は土塁と塹壕を巧みに組み合わせて、各段に精緻な防御陣地を構築しました。たとえば、各要塞に穹窖(きゅうこう)砲台が装備されました。これは地面を数メートル掘り下げて砲台を設置し、それを分厚い船材と土嚢で覆ったもので、激しい砲撃にも耐える構造になっていました。
 敵味方の双方が自軍陣地の強化に励んでいる間、大規模な戦闘はほとんどありませんでした。ただし、ロシア軍は散発的な夜間攻撃を行ないました。冬の間に大胆な夜襲を指揮して勇名をはせた黒海艦隊の水兵ピョートル・コーシカはロシアの国民的英雄となりました。しかし、ロシア軍の夜襲の目的が不明瞭でした。連合軍の防御態勢に決定的な打撃を与えることもなく、大々的な人的被害を与えることもありませんでした。むしろ襲撃するロシア軍に多数の戦死者が出ることも稀ではなかったのです。フランス軍のエルベ大尉は、塹壕内での睡眠を妨げることで連合軍兵士を疲労させることがロシア軍の狙いだろうと考えていましたが、事実、ロシア側の意図はそこにありました。
 連合軍側もロシア軍の前哨拠点に奇襲攻撃をかけることがありました。その狙いは拠点を奪うことよりも、ロシア兵の士気を挫くことにありました。奇襲攻撃はズアーヴ兵が最も得意とする戦術でした。1855年2月23日から24日にかけての夜、勇猛なことで名高いズアーヴ第2連隊が、建造されたばかりのロシア軍の「白壁の土塁」を急襲し、一時的に占拠しました。この意義は、いつでも好きな時に奪うことができる力をロシア軍に誇示することにありました。この奇襲に際して、ズアーヴ第2連隊は兵士と士官を合わせて62人の戦死者と203人の負傷者を出したが、退却する際には死傷者全てを収容して連れ帰りました。
(つづく)

コメント

2018年
07月28日
21:50

1: RSC

ズアーヴ兵が日露のコサック騎兵みたいな働きをしていますね。

2018年
07月28日
22:19

塹壕を掘るだけで そんな被害がっ!
>天才的な工兵総監
戦闘以外にも優秀な建築監督が居ると心強いですな。

決定だにならない、と判っていても小競り合いを止められない。

ダイナマイト ここでも活躍していますね。

2018年
07月29日
06:48

3: U96

>RSCさん
そうですね。万能な兵士達ですね。

2018年
07月29日
06:56

4: U96

>ディジー@「本好きの下剋上」応援中さん
現在、ロシア軍の軍事パレードで「トートレーベン行進曲」という曲が演奏されております。私もCDで聞きました。
実は少数の小競り合いがだんだん規模が大きくなってきます。