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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2018年
05月22日
04:54

アメリカ南北戦争(その3)

 まず、両軍の戦略案を明らかにしておきましょう。
 北軍の戦略案としては、戦争勃発前に連邦軍総司令官ウィンフィールド・スコットが提唱した、(1)まず陸海共同の侵攻部隊でミシシピィ河口のニューオリンズ市を攻略し、可及的速やかに南部の全港湾を封鎖。(2)2つの大軍を編成し、1軍はミシシピィ河を南下して、南部連合の西方諸州を東方諸州から切り離す一方、他の軍でリッチモンドに圧力を加えて南軍の主力をヴァージニア州に引きつけるという案が最良であり、当時はリンカンを含め周囲の嘲笑を買ったが、その慧眼は後世の軍事史家の等しく賞賛する所となりました。
 対する南軍の戦略案だが、戦争中遂に明確な戦略案は提唱されませんでした。そこで英国の軍事史家J・F・C・フラー退役少将(第1次世界大戦戦車戦術の権威)の著書にある、主力がテネシー州で機動防御攻勢を実施する一方、牽制部隊がヴァージニア州で作戦を行ない、これによってミシシピィ・アラバマ・ジョージア州などの大補給州を保護し(具体的にはポトマック河からアパラチア山脈沿いにチャタヌーガ、メンフィス、リトルロックに至るラインを絶対国防圏とする)、ミシシピィ西岸のアーカンサス州やルイジアナ州への致命的諸渡河点を保持し続け、うまくゆけばケンタッキー州にも手を伸ばし得るという案を最良としましょう。

 ワシントンが危機的状況にあった4月19日、リンカンは南部連合の全海岸線を封鎖するよう命じました。これは、連邦陸軍総司令官スコット将軍が立案したいわゆる「アナコンダ作戦」によるものでした。
 スコット将軍は75歳にもなる老人で、肥満して多くの病いを抱えていたが、合衆国のために画期的な戦略を世に残しました。それは経済封鎖の概念であり、優れた海軍力を使って大西洋岸とミシシピィ河流域を掌握すれば、自然に南部を屈服させられるというものでした。
 この作戦はその効果の遅さから一般に人気のある作戦ではなかったし、当初は包囲網が充分でなかった事もあってなかなか効果もあがりませんでした。しかし、時間がたつにつれ、南部は海上封鎖で輸入ルートを断たれ、後には陸上でもシャーマンの焦土作戦が加わったため、経済的に屈服せざるを得なくなったのです。逆に言えば、アナコンダ作戦がなければ、南部連合の力はまったく恐るべきものであったのです。
 スコット将軍の深謀遠慮に対して、北部人の一般の見方は「リッチモンドを占領すれば戦争は終わる。それには90日もあれば充分だ。」というものでした。新聞や人々は「早く戦争をしろ!」とわめき立てました。スコット将軍や閣僚の何人かは、封鎖作戦を厳重にすればやがて南部は降伏すると主張したのですが、政治的に世論の動きを考慮したリンカンは、南部への進撃を命じたのでした。

(つづく)

コメント

2018年
05月22日
18:02

1: RSC

南北戦争ではどうしてもリーやグラントがまず出て来るので、スコット将軍の名前は初めて聞きました。合衆国有数の名将だったのですね。

2018年
05月22日
18:27

2: U96

>RSCさん
はい。ちなみに敗戦後、リーにインタビューした記者は一番優れた北軍の将軍は誰かと聞いたとき、リーは「マクレランだな!まぎれもなく!」と答えたそうです。

2018年
05月22日
19:17

>新聞や人々は「早く戦争をしろ!」とわめき立てました。

いやー今も昔も変わりませんねw

2018年
05月22日
19:46

4: U96

>櫻 弾基地さん
そうしてわめいた人達は国に200ドル払って兵役免除してもらうのですよね。