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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2012年
06月12日
23:07

日本陸軍 一○○式機関短銃

 日本陸軍は昭和3年にMP-28という9ミリパラベラム弾を使用する最新型のサブマシンガンをドイツから参考輸入し、研究を重ねた結果、昭和5年に二案の短機関銃の試作をしました。
 第一案は、全長690ミリ、箱型弾倉が右手握把(グリップ)を下から貫入する形状で、タンジェントサイトがついていました。
 第二案は、弾倉を左側方から差し込む形状でした。
 試作にあたり、使用弾薬も数種類が検討されました。まず、詳細不明の6.5ミリ弾(25ACP?)がテストされましたが、不満足でした。次に7ミリ南部弾、その次に詳細不明の7.7ミリ弾(32ACP?)が試されましたが、いすれもダメで、結局8ミリ南部弾を使用することに落ち着いたといわれています。短機関銃としてはどこの国も採用していない6.5ミリや7ミリという小口径をまず試していることに、「弾惜しみ」をするようになった当時の陸軍の指向がうかがえます。それは最初から、9ミリパラベラム弾や、海軍陸戦隊が使用しているスイス製(設計はドイツ)のベルグマン短機関銃で実証済みの7.63ミリ弾の性能には遠く及ばないことがわかっている悪選択でした。
 陸軍側は試作第二案を可としましたが、その結論が出されたのは実に昭和12年になってからでした。
 なぜ7年間も国産短機関銃の制式化の動きが止められていたかというと、これも陸軍の「弾惜しみ」と関係があります。日本陸軍は、第一次大戦の実相と自国の国力を分析した結果、将来の陸戦においては、弾薬準備量で仮想敵国陸軍に対抗することは不可能だと悟らねばなりませんでした。そしてその結果、大砲・重火器・小火器のすべてについて、極端に命中精度を重視するようになっていきました。
 短機関銃は、略式照準により弾薬をバラ撒く火器であって、その構造上、一発を大切にする狙撃には適しません。この点が、大正後期~昭和の貧乏陸軍には、どうしても受け入れられなかったのです。
 しかし昭和12年、支那事変が始まると、これが大陸問題の最終解決になると信じた日本政府は、短期決戦を目指して国家総力戦体制を整えました。陸軍予算も丼勘定で支出可能になったので、棚上げとなっていた国産短機関銃の試作型も、ようやく富津の騎兵学校に試供される運びとなりました。
 しかし低威力の8ミリ南部弾を使用する試製短機関銃は、全く騎兵学校の気に入るところとはならず、さらなる改修が、中央工業(南部銃製造所)に命じられました。
 この改修型は、支那事変が泥沼化して、惧れていた陸軍の弾薬不足が現実のものとなってきた昭和14年に完成しました。銃の本体には、命中精度を高めるために、タンジェント型リアサイトと、細い二脚がついていました。また銃身の下には、延ばすと銃口よりもはるか前に突き出る伸縮式の管が設けられ、その先に着剣できるようになっていました。
 外国の古い短機関銃には二脚や調節式照門の前例がありますが、着剣装置についてはこの時点では日本だけでした。日本軍は夜襲においては終始一発も弾丸を発射してはならず、白兵のみにより突撃することが理想視されており、したがって歩兵の小銃小隊の全員が夜間突撃に参加しうるためには、小隊長は拳銃ではなく日本刀を持ち、軽機関銃も短機関銃もすべて着剣装置を有していなければならなかったのです。
 この改修型は、歩兵、騎兵、戦車の各軍学校に評価され、欧州で第二次大戦が始まった昭和15年に一○○式機関短銃として制式になりました。その背景には、歩兵が高い割合でMP-38短機関銃を装備したドイツ軍についての情報があったことは間違いありません。
 量産型では着剣管の伸縮機能はなくなりましたが、銃口に銃身の「踊り」を抑制するためのガス偏向器が付いているため、管そのものは残ることになりました。装着する銃剣については、当初は三十年式銃剣でしたが、後に刃渡りの短い一○○式銃剣も用意されました。銃だけの全長は556ミリありました。
 一○○式機関短銃の引金機構は、単射/連射の切り替え装置を持たないフルオート専用です。ドイツのMP-35は、単/連の射ち分けができる二段引金を有していましたが、この「弾惜しみ」にあつらえ向けの機構が採用されていないことは、一○○式機関短銃が、MP-34型以前のドイツ製短機関銃を参考にしていたことを示唆しています。
 弾倉は、8ミリ南部弾の薬莢がテーパーを有しているため、バナナ型になっています。ドイツがルガー拳銃用に発明した大容量のスネイル型弾倉も試されましたが、調子が悪く、採用されませんでした。
 発射速度は、毎分450発と低い。これは自動火器をしっかり保持して集弾性を高めるためには良い措置ですが、ボルトを重くしたり複座長を長くしたりバネを強くする必要があって、設計上の諸制約は大きくなります。
 ベルグマンの銃身長は210ミリですが、一○○式では230ミリと、僅かに長い。初速は鹵獲品の実測で335メートル/秒だったといいます。
 銃身内部は九六式軽機同様にクロームメッキされ、極めて寿命が長くなっていました。短機関銃を大量生産の消耗品と位置づけた他国では見られないことでした。
 量産は、小倉造兵廠・鳥居松支所で、昭和16年から約1万丁が生産されました。公差が最も甘くてよい短機関銃を、わざわざ軍工廠の高度な設備で量産したのはあまり合理的とは言えません。
 一○○式機関短銃の初期型は、昭和17年2月のパレンバン降下作戦に用いられました。しかしジャングル地域における短機関銃の戦術的有効性は軍の認知するところとはならず、本作戦以降、一○○機関短銃は第一線から姿をけしてしまいました。これは、造兵廠や武器メーカーが、小銃や軽機・重機など他の兵器の生産を優先させたものと思われます。
 だが改良研究だけは続けられました。昭和18年には挺身連隊用スペシャルバージョンとして、用心鉄直後から床尾部分を前方に折りたためる型が7500丁ほど製作されました。これには、降下着地の衝撃で暴発しないように、二重フック安全装置もつけられていました。
 昭和19年になると、軍はようやく南方のジャングルでは槓桿式小銃はあまり役に立たないことを悟りました。そして米英豪軍の短機関銃の効果的な使用が評価され、同年、戸山学校でも、一○○式機関短銃による南方密林での戦技研究を、北富士精進湖付近で開始しました。
 こうして短機関銃は再び見直されることになり、早速、生産性を向上させた「一○○式改機関短銃」が、名古屋造兵廠の熱田支所でつくられ、終戦までに約8000丁が納入されました。
 改型の特徴としては、銃腔クロームメッキはそのままにされ、タンジェントサイトが固定V字ノッチに簡略化されました。また銃口のガス偏向器がなくされたので着剣管が要らなくなり、銃身覆いの下部に直接銃剣を装着するように改められました。8ミリ南部弾の非力を補うため、発射速度は毎分800発に改められました。
 この短機関銃を精強部隊に持たせてフィリピンに逆上陸させようという作戦案もあったようですが、結局実行されませんでした。2万丁以上生産された一○○式機関短銃が、終戦時のどの部隊に支給されていたのかはよくわかりません。沖縄の飛行場に重爆で強行着陸した義列挺身隊や「連絡艇」と暗号名で呼ばれた特攻ボートを運用する陸軍海上挺身戦隊など、主として挺身部隊(特殊部隊)に渡されていたようです。
 日本陸軍が南方で短機関銃を大々的に活用しなかったことについて、英国の軍事史家は今でもいぶかしんでおります。槓桿式小銃によるジャングル内の突撃ではどうしても散開に限度があり、一点か二点の狭正面に集中していくことになります。防御側にとっては重火器の火網を構成しやすいのです。しかし短機関銃が歩兵の主幹火器となっていれば、広正面に散開した歩兵各自のイニシアチブによる、重点をどこにも形成しない「浸透攻撃」が可能でした。なぜ日本軍はこれを採用しなかったという疑問です。
 これは万年弾薬不足に悩む日本陸軍が彼我の弾量も懸隔を夜襲によって補わんと決意した大正年間に起源がありました。
 その際、貧乏症のあまり弾の消費を惜しむ度が過ぎて、一弾も発射せずに敵兵を追い散らした、日露戦争における静粛夜襲の成功例(弓張嶺など)万古不易の兵学の教科書とされ、昭和17年になっても演習で強調されていたのです。
 確かに夜間にボルトアクション小銃を射ちながら突撃したところで一発も当たりません。が、相手が多数の自動火器を揃えて守っている場合には、別です。そのような陣地に対しては、攻撃側のめいめいの歩兵が自動火器を射撃し、守備側に照準されることを防ぎながら前進しないかぎり、とても銃剣間合いまでは詰められません。そして、それを可能にする装備が短機関銃だ、という着眼を、戸山学校も歩兵学校も持てないほどに、日本軍の弾薬貧乏体質は深刻だったのです。

 諸元(改型):全長900ミリ、銃身長230ミリ、重量3.9キロ、口径8ミリ、初速335メートル/秒、装弾数30発、発射速度800発/分

コメント

2012年
06月13日
00:57

浸透戦術に秀でた帝国陸軍がグリースガンかMP40のような量産向けの簡易構造な短機関銃に着眼しなかったのは嘆かわしいことですね。
とはいえ、二脚架やタンジェントサイトの装備からも解るように当初は短機関銃は軽機の補助的な役割を担うものと解釈されていたのだと思います。しかしながら、そうなると短射程で命中精度も低く火力で劣り、拳銃弾を大量消費すると悪い点ばかりが目立ってしまい、これも偏に上層部の無理解と認識不足故の結果ということになるでしょうね…

面白いことに、中距離域での日米軍の小部隊同士の交戦においては(弾さえあればですが)双方の火力が拮抗しているものの、これが100mを下回る近距離になると同規模の部隊でも米軍側が火力で圧倒するようになるそうです。
日本側も優秀な軽機関銃や大火力を発揮する擲弾筒、命中精度といったアドバンテージはあるのですが、距離を詰めるにつれてアメリカ側の大量の短機関銃や自動・半自動小銃がその火力的優位性を発揮するようになるのも一因でしょうね。
広大な大陸戦線ではともかく南方のジャングルではとりわけこの傾向が顕著になるようで、日本兵も九九式軽機を抱えて突撃したり、火力でこそ及びませんが鹵獲品のBARなども「自動小銃」としての有効性に注目されています。

ところで、こうして貴重な歩兵火力として分隊支援火器的な運用が為されていた軽機にも着剣は可能ですが、それどころか九七式自動砲にまで銃剣が装着可能だったりしますww
なのでどちらかというとこれらの火器には反動抑制用に着剣装置が設けられたようにも思えますね。少々不恰好ではありますが…

それから一〇〇式機関短銃はフィリピンや沖縄戦では相当数が投入されていて、後者の例では将校は勿論下士官にもかなり普及していたそうです
フィリピンではオートバイ伝令兵が護身用に携行していて、ザ・コックピットなんかにも冒頭だけ登場していましたね。尤も、大戦経験者の証言によれば携行弾は予備の弾倉が一本のみの計60発という情けない体たらくですw

戦前に開発されていた自動小銃が採用を見送られた例もありますし、やはり補給を軽視する姿勢にあった帝国陸軍ではこういった小火器が冷遇されたのも当然のことかもしれません。

2012年
06月13日
04:31

Тип 93 Патриотさんの動画を見る限り運用次第ではそれなりに使えそうな連射速度ではありますね。
旧日本軍に従軍していたお年寄りはみんな言っていました。ボルトアクションで機関銃に勝てるわけないと。
とにかく弾がない、食料がないと。
中途半端が一番危険なんですよね。戦争って。

2012年
06月13日
06:06

3: U96

>Тип 93 Патриот さん
詳しい解説ありがとうございます。それにしても8人がかりで運用する「九七式自動砲」まで着剣可能だったとは初めて知りました。どれだけ白兵戦を盲信していたのだろうかと…

2012年
06月13日
06:15

4: U96

>鉄砲蔵さん
日本軍は士気が高く、弾さえあればいくらでも戦えたと聞きます。この銃が配備されたのが遅かったのは上層部の白兵戦への盲信だったのですよね。短期決戦が破綻した時から勝負は決まっていたのかもしれないですね。

2012年
06月13日
11:41

>しかし短機関銃が歩兵の主幹火器となっていれば、広正面に散開した歩兵各自のイニシアチブによる、重点をどこにも形成しない「浸透攻撃」が可能でした。

浸透戦術に機関銃が有効だとは、考えたことがありませんでした。たしかに、防衛側も機関銃を置いているわけですし、歩兵銃だけでは火力不足ですね。

「世界最強の軍隊は、アメリカ人の将軍、ドイツ人の参謀、日本人の兵士」というジョークがありますが、浸透戦術しか道のなかった日本陸軍が、「弾惜しみ」でその戦術すら肉弾突撃となったのは、日本の物資不足、ひいては帝国主義の世界で、後発の列強としてあり続ける難しさを象徴してますね。

2012年
06月13日
18:44

そして、旧陸軍の弾薬貧乏性は現在の自衛隊にも引き継がれている訳で…
困ったものです…

2012年
06月13日
18:57

7: 退会済ユーザー

機関短銃のことは、よくわかったのですが、セミオートのライフルとかってなかったんですか? ライフルは、みんなボルトアクションで、半自動のものはなかったのかな?

2012年
06月13日
20:32

8: 退会済ユーザー

「なんであの時100式使わなかったのー?」
「だって慣れてないんだもん! 弾丸も勿体ないもん!」
「でも撃たなきゃ生き残れないよ?!」
「夜襲して銃剣使うからいいもん!」

…ちょっとふざけ過ぎました。皆様ごめんなさい。

しかし九七式自動砲の銃剣って、それはメタルダーにでも使わせる代物ですかね?

2012年
06月13日
20:38

9: U96

>ねこでぃさん
浸透戦術は第一次大戦でドイツのストームトルーパーが短機関銃を使用しました。それがかなり有効でしたので、日本も浸透戦術を採用したのですが、短機関銃を使用することまで見習ってほしかったですね。夜間、月光に銃剣が反射することを恐れて草を巻きつけていたとか…

2012年
06月13日
20:39

10: U96

>しえらさん
現場が気の毒です。何とかならぬものかと思います。

2012年
06月13日
20:43

11: U96

>さかぐちさん
実は帝政ロシアにおいて日本製6.5ミリの弱装弾を使う自動小銃が試作されました。参考輸入くらいすれば良かったのにと思います。

2012年
06月13日
20:47

12: U96

>フロッガーさん
メタルダーはその拳は100ミリの鉄板を貫くのですよね。メタルダーほどの力持ちでないと銃剣突撃できないということでしょうか?確か運搬は二人がかりだったはずです。

2012年
06月14日
20:46

異常に性能の高い銃で夜間に狙撃…ですか。
弾惜しみをしたすえのことですが、日本軍の戦闘スタイルは相当嫌われてたんでしょうねぇ(´・ω・`)

2012年
06月14日
20:51

14: U96

>ちょこらさん
日本軍の戦闘スタイルは恐れ、嫌われておりました。
夜間浸透戦術の他は、南方でのジャングルにおけるアンブッシュ攻撃が挙げられます。