おたくの為のSNS おたくMk2

U96さんの日記

(Web全体に公開)

2012年
09月22日
10:58

「誉」エンジン

 「栄」系エンジンで1100hpを1400~1500hpに高めるためブースト圧や回転数の上昇、吸入効率の向上、燃焼の改善などの検討や予備実験などが始まりました。
 昭和14年の暮れ、「栄」と同じ外径でこれを9気筒の2列にするようなエンジンが出来ないかという発案があり、検討が始まりました。まず9気筒を作り、これを前後列思い切って離して前後列のシリンダーの干渉をなくし、その上で冷却風通路(後列への入口と前列からの出口)及び特に前列への吸排気管のアレンジ、前列後側の点火栓の位置及び整備性を考えた設計をしてみました。このようなアレンジの場合に多少のスペースの余裕を持ちながら段々に各部について9シリンダーとして配置してみると、NAMより外径を30mm大きくするだけでよいことが分かりました。一方、前後列の中心距離はNAMの150mmに対し50mmのばせば充分のようでしたが、余裕をとるとすればこの方向で整備、組立てなどの点で必要なので70mmのばすことに定められました。
 なおクランク室は鋼製のケースを使いました。スペースの節約、剛性の向上に大きな貢献をしましたが、このような大きくて薄い鍛造品からの削り出しは経験がないので、なかなか引受け先がなかったのですが、住友金属工業(株)の協力が得られました。更に点火系統を発電機とディストリビューターを後部と前部の減速装置とに離して電線の合理化をはかりましたが、これも横河電機(株)の緊密な協力によるものでした。
 容積は36lで出力は1800hp、やがて2000hpに向上することとしました。このアイデアを昭和15年はじめ海軍に提出し、官民をあげてこの試作を支援することとなりました。
 昭和15年9月15日に試作命令が出て、以下の予定を厳守することになりました。機械工事完成 昭和16年2月15日、組立て完成 同年3月15日、第一次運転及び性能運転完了 同年3月31日、第一次耐久運転完了 同年6月末日。
 300時間の第一次耐久試験を終了後、性能は離昇馬力で1800hp/3000rpm、給気圧350mmHgでしたが20型で2000hp/3000rpm、給気圧500mmHgとなりました。前面面積と離昇出力の関係で世界水準をぬいていました。
 機体には海軍では海軍設計の銀河、中島の彩雲、天雷、連山、川西の紫電改、愛知の流星、三菱の烈風、陸軍では中島の疾風などに搭載されることになりましたが、三菱は烈風にこのエンジンを載せることを拒否し、自社開発のMK9Aを搭載しました。
 「誉」エンジンは昭和18年から終戦までに約9000台が生産されました。

コメント

2012年
09月22日
11:53

1: 退会済ユーザー

誉はよく稼働率の悪さなどネガティブな評判をよく聞きますが、実際はどの程度活躍出来たのでしょう?
最後までこのエンジンを使った疾風を嫌い、零戦や隼で戦い抜いた猛者もいる…という噂レベルの記憶があります(例によってソース無)。

2012年
09月22日
22:47

2: U96

>フロッガーさん
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q...

…誉の信頼性低下は戦局悪化のためにガソリンのオクタン価の低下、エンジンオイルの質の低下のよるものが大のようです。可能な限り、そのような実情に合わせて手直しをしたのですが…その他、もともと生産性が悪いのに熟練工を戦争に動員されてしまったのも原因と考えます。精密な工作機器がないのを熟練工の技量に頼っていた日本の事情ではこれは痛かったろうと思います。

2012年
09月23日
01:42

設計した中川良一さんも戦後述懐してましたが、誉(ハ45)は、工業製品というよりもレーシングエンジンみたいなものでしたね。
もちろん高回転・ブースト圧上昇で「軽量高出力」を狙うというのは、設計としてはやりがいのある野心的なものでしたが、この方向性自体が「大量生産しやすい丈夫なエンジン」というよりも「とにかく高性能を狙うレースエンジン」の考え方な訳で……。

しかも生産現場には、統一された治具が存在しなかったのも大きいですよね。
お陰で部品の誤差が大きく、熟練工による「その場での擦り合わせ」という職人芸を駆使して組み立ててた訳ですから。
空冷フィンの加工も、生産上の問題でどんどん妥協して、効率が低下していき、特に「烈風」試作段階ではカタログ値の3割減くらいになってたともいいますし、作りやすい設計にするべきだったんでしょうね。

もともとコンパクトな栄を多気筒化して誉……という進化形態ですから、無理も大きかったんだと思います。

「烈風改」や「震電」に使われた三菱社内コードA20(MK9・ハ43)エンジンも、金星をベースに多気筒化したものですから、これも無理した部分があり、恐らく大量生産には対応しにくかった恐れがありますね。

銀河も理想を追求しすぎて大量生産に向かない「レーサー」みたいな機体でしたし……。
生産のしやすさで割り切って、素直に排気量を増やすというマージンの大きい設計だったP&Wダブルワスプ(F6FヘルキャットやF4Uコルセア、P-47サンダーボルトのエンジン)とは対照的で、工業製品というものに対する考え方の違いを感じます。

現在、誉の設計図は富士重工、銀河の設計図は国立科学博物館が所蔵しています(写真は富士重工所蔵の誉(ハ45)設計図)。なので、誰かが100億単位の資金を用意すれば、銀河は再生産(復元やリバースエンジニアリングでなく)できるんですよねー(^^)b

U96さんのこの写真は、交通博物館に展示されていた誉ですね(3枚目の写真は交通博物館で撮影したもの)。群馬県の富士重工太田工場の敷地から発掘されたものです。

2012年
09月23日
04:46

6: U96

>咲村珠樹さん
なるほど!カリカリにチューニングしたエンジンだったのですね。それでは熟練工がいないとちゃんと組み上げることができなかったでしょうね。…詳細な解説ありがとうございました。

2012年
09月23日
13:58

整備がもっと行き届いていれば
さらにいい評価の出るエンジンになったと思います

2012年
09月23日
14:25

8: U96

>あおねこさん
そうですね。
…「誉」エンジンの改良については、また日を改めて書きたいと思います。