航空魚雷は高価すぎました。
水上艦用の魚雷よりは三回りも小型とはいえ、航空魚雷も、法外に高額な兵器でした。
魚雷は最も簡単なものでも1200種、3000~6000点の部品から成っていました。
その複雑さのため、豊田穣によれば、航空魚雷の単価は昭和16年で2万円し、これは九七式艦攻の9分の1に相当しました。それに対して爆弾は800キロでも600円くらいだったそうです。
もっと比較の例を並べれば、潜水艦の魚雷も1本が2万円したらしく(佐藤光貞『海軍の科学』昭和16年5月刊)、また61cm魚雷が1万5000~2万円すると書いてある解説書(福永恭助『僕の兵器学』昭和16年7月刊)もあります。「一式陸攻」は1機が25万円でした(古川眞治『空翔ける神兵』昭和18年8月刊)。
御田重宝『戦艦「大和」の建造』(昭和56年刊)によると、『大和』の建造コストは1億6300万円だったと推定されるそうですので、「一式陸攻」の652機分で(もっとも7人乗りなのでクルー総勢は『大和』の乗員1600~3000人より多数必要ですが)、それはまた航空魚雷8150本分でした。
なお、海軍中佐の毎月の基本給は、268円33銭(西原勝『航空兵読本』昭和16年11月刊)。また支那事変中の銀行クラークも月給は70円で、土地抜きの一戸建ての家作は1000円くらいしたそうです。米軍の魚雷の値段はよく分からないのですが、戦時中の本に、潜水艦用魚雷が1万2000ドルすると紹介されています(大澤吉吾郎『米軍戦闘力の研究』昭和18年1月刊)。また米陸軍中佐の基本年棒は3000~4000ドルでした。(バーナム・フィニイ著、吉田哲次郎訳『米国国防計画の全貌』昭和16年刊)。
2万円の魚雷は、今ならば、1発が1億円する対艦ミサイル「ハープーン」のような感覚でしょうか(ちょっと前の海上自衛隊の魚雷は2000万円だったそうです)。
発射の瞬間、航空魚雷の内部では0.1秒でジャイロが毎分4万回転に達し、それが三軸の自律姿勢制御をし、水圧センサーと連動して、事前に調定された深度を維持して最後まで直進する。しかも、投下されると確実に一発でかかる超小型の「使い捨てエンジン」も搭載。2分間足らずの運転ながら、それはちゃんと清水によって冷却されるようになっていました。
スクリュー・プロペラはトルクを打ち消すため2重反転式。ジャイロや内燃機関のスターターと燃料の継続と舵サーボの動力のための圧搾空気を封入しておく「気室」は、日本の場合1箇1箇が職人の削り出しで、意外にもそれがメカの固まりのような魚雷の中でいちばん高価なパーツでした。当時のピストンエンジンやタービンエンジンを内臓した熱走式魚雷の基本性能は、気室中に何百気圧で助燃剤としての空気を閉じ込められるかに大きく左右されましたが、冶金に弱い日本技術陣は、これをアメリカのように鈑金溶接にはできなかったのです。
コメント
08月28日
21:33
1: たかたか
戦争には金がかかる、ってのが判りますね。
最新の技術を使い捨てでつかうのだから、当然なんでしょうか。
08月28日
21:41
2: U96
>たかたかさん
戦後、アメリカ軍は日本製の魚雷の長射程に驚いたそうですが、個としての性能が優れていても生産性に難があるのではいかんともしようがありません。そして、やがて熟練職人も動員されてしまいます。国力の差は大きいです。