日本陸軍は対戦車車載兵器として、フランスのシュナイダー社の高射砲に目を付け、これを無断コピーしました。
しかしこの九〇式野砲は、水平射撃時に砲尾が反動によって後退する長さ(後座量)が約一メートルあり、車載のためにこれを65センチに短縮することに苦心の末、成功しました。これによって三式中戦車チヌは量産され、本土決戦に間に合った兵器となったのでした。この戦車は正面六〇〇メートル以内ならM4中戦車の装甲を貫徹することができました。そして、その運用は陣地を何度も移動して、側面を狙うように下達されました。正直、砲架の状況をM4戦車の複筒油圧バネ式(後座量三〇センチ)と比較すれば、構造と技術の差は明瞭でした。
兵器行政本部によれば、駐退複座装置の緩衝器(油圧バネ式)が高圧に耐えられず、「後座量を半減させるのに昭和二三年までかかる」と見積もっていました。
そこで短期間での戦車砲改修のため、各種の高射砲を試験した結果、四式七五mm高射砲が適していると判定されました。この砲はスウェーデンのボフォース社の高射砲を原型にしたもので、その初速は八五〇メートルで、同じ口径の八八式高射砲の一・三五倍ありました。
昭和二〇年一月、この砲の閉鎖機の機能や砲尾重量を増す平衡器を取り付けることにより、後座量を四〇センチに短縮し、五式七五mm戦車砲としました。車体は、既に昭和一九年春に試作が完了していました。しかし、砲塔重量の増加に対応して油圧旋回装置にするなどに時間を取られました。
昭和二〇年二月、ついに四式中戦車チト(三〇トン)二両が完成しました。これにより、M4戦車を一〇〇〇メートルから正面射で貫徹することが可能となりました。装甲も前面七五mmあり、充分M4戦車と対抗できる性能を有しておりました。しかし、あまりにも完成が遅すぎ、部隊配備には至りませんでした。
コメント
11月22日
22:14
1: REW
浜名湖北の湖のやつ、まだ引き上げて無いんでしたっけか。
11月22日
23:11
2: RSC
この車両、本土決戦が行われたらどれだけの戦果を挙げたんでしょうかね。
11月22日
23:37
3: 闇従(あんじゅ)
シャーマンが相手として、
向こうは30分に1台の量産体制じゃなかったでしたっけ・・
11月23日
07:04
4: U96
>REWさん
はい。私も聞いておりません。
11月23日
07:06
5: U96
>RSCさん
それはわからないですね。頼りなくてごめんなさい。
11月23日
07:09
6: U96
>闇従(あんじゅ)さん
ドイツ軍も「ティーガーは一度に一〇台のシャーマンを相手にできる!しかし、奴ら一一台目を持ってやがんだ!」などと言われましたね。
11月23日
21:08
7: REW
今月の『歴史群像』のデータによれば、勝てない事も無さそうですね。
物量チートに対して、試作でいっぱいいっぱいの国が勝てるとは微塵も思わないですが。
一矢報いただけで、精神論で勝った的なダメなやつw
11月23日
21:38
8: U96
>REWさん
「歴史群像」買っていたのですが、気づきませんでした。これほど貫通するのですか。ありがとうございました。