1917年は、作戦レベルで期待と失望の一年でした。期待とは、政策、ドクトリン、装備の変化です。まず、政策の転換がありました。ハウス提督はようやく連合軍艦船に対する攻撃の有効性を認め、1月になってフォン・ティリーに出撃を命じました。彼は直ちに、唯一の長距離航行が可能な潜水艦U-14と、新型のU-10級の潜水艦2隻をカッタロに移動させました。
そして2月、ウィーン政府は連合軍艦船に対する無制限潜水艦戦を宣言しました(地中海に進出して以来、ドイツ軍潜水艦が行っているのと同じである)。ドイツ軍は大西洋と異なり、地中海では最初から無制限潜水艦戦を宣言していました。というのも、地中海を航行するアメリカ国籍の艦船が少なく、政治的配慮をする必要がなかったからです。
装備面の変化は、UBⅡ級潜水艦の登場です。1917年4月、ドイツ軍による潜水艦戦が頂点を極めた頃に配備されたU-27がその一番艦でした。その月、オーストリア・ハンガリー軍も同様にこれまでで最高の戦果を上げており、2万3000トン以上を撃沈しました。
オーストリア・ハンガリー軍の潜水艦部隊は、それから戦争が終わるまで戦果を上げ続けたのですが、4月ほどの成功を収めることはできませんでした。連合軍の対潜攻撃能力が向上したためでした。
(つづく)