ドイツ軍の潜水艦部隊が決定的な戦果を上げ続けているのに対し、オーストリア・ハンガリー軍の潜水艦部隊は、地中海まで進出して連合軍の艦船を攻撃するには、航続距離が短かったのです。ハウス提督は、アドリア海南部のカッタロに部隊を移動させるというフォン・ティリーの提案を、依然として拒み続けていました。
このため、1916年が終わった時点で、フォン・ティリーの潜水艦部隊はわずか18隻しか艦船を沈めておらず、その殆どは中部アドリア海、北部モンテネグロ沖で上げた戦果でした。その一方、潜水艦4隻が失われました。潜水艦の主な標的は、排水量200トン以下の小型船でした。オトランドの数百キロ南では、それとは比較にならないほど、大きな獲物が待っていたというのに。いや、それだけではありません。その年の2月、アルバニアのドゥラツォから撤収するセルビア兵を乗せた連合軍輸送船を攻撃することさえできなかったのです。オーストリア・ハンガリー陸軍は1918年に、この時に撤収した兵士と再び戦うことになるのだから、最大の好機を逸したと言えます。
(つづく)
コメント
05月10日
20:59
1: RSC
オーストリア・ハンガリー海軍ですが、魚雷と海上砲撃、どちらが戦果が多かったのでしょう。
05月11日
04:30
2: U96
>RSCさん
砲は通常、魚雷1発で沈まなかった場合に使われるので、魚雷と思われます。
05月11日
16:29
3: RSC
ありがとうございます。