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U96さんの日記

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タグ : 三國志

2019年
04月05日
19:42

呉の滅亡(その22)

 晋の王渾は討呉護軍 張翰、司馬 孫疇、揚州刺史 周浚の兵を前線に展開し、両軍は陣を列ねて対峙しました。先に動いたのは呉軍でした。呉の沈瑩は青巾兵を率いて晋軍に3回に渡って猛攻を加えます。しかし晋軍は守りを堅めてその猛攻を耐え抜きました。丹陽の青巾兵をもってしても勝てないために呉軍に動揺が起こりました。晋軍の薛勝と蔣班はこの動揺を見逃さず、その混乱に乗じて攻撃を加えました。呉軍はこの攻撃を支えきれず、次々と各隊が隊列を乱して敗走をはじめ、指揮官たちもこれを止めることはできませんでした。
 ここで決定的なとどめの一撃を後方から加えたのが楊荷橋より出撃した張喬でした。ついに呉軍は収拾のつかない敗走を始め、張悌、沈瑩、孫震は戦死し、諸葛靚はわずかに5~600人をまとめて戦場を逃れました。晋軍が斬った首は7800に及び、呉の主力は完全に消滅しました。呉の主力を壊滅させた王渾は王濬の艦隊の進出を待つため、横江で進撃を停止しました。
 その頃、司馬伷は下邳より徐州の諸軍、数万を率いて涂中へ進軍し、この方面の呉軍を牽制し、琅邪相 劉弘に長江まで進撃させ、長史 王恒に諸軍を率いて長江を渡らせて呉の要塞を攻略させ、その進撃の過程での斬首、捕虜は5~6万にも達しました。
(つづく)