羊祜は軍事面の準備や諜報活動は怠らなかったものの、ますます徳と信義をもって呉の軍隊、民衆を懐柔して戦わずして呉を屈伏させるという心理作戦をとりました。たとえば呉の国境を越えて呉の田畑から穀物を刈り取って略奪を行なうことがありました。これだけなら敵の生産を破壊することを目的としたごく普通の軍事行動です。しかし羊祜は田畑の持ち主にその略奪した量に応じて代価として絹を送りました。こうした心理作戦の効果は大きく、晋に降伏する者は後を絶ちませんでした。
羊祜の巧妙な心理作戦を見抜いていた陸抗は、羊祜と同じように徳と信義を持って対抗したために、呉と晋の国境では、余った穀物が田畑に置いてあっても敵国が略奪することはなく、家畜が敵国の国境を越えて逃げても敵国に通知すれば捕獲しに行けるようになるなど、交戦国どうしとはとても思えないような情景が見られるようになりました。
この2人はライバルが時として抱くことがある、相手を尊敬しあうことによって生じる友情によって深く結ばれていました。陸抗が送った酒を羊祜は疑うことなく飲み、陸抗が病気と聞いて羊祜が送った薬を陸抗は疑うことなく服用していました。この友情は陸抗にとっては、皇帝に疑いを持たれるほど危険なものでしたが、陸抗はそれを隠さず、堂々と交際を続けました。
(つづく)
コメント
03月09日
20:52
1: RSC
陸抗は一度父陸遜の汚名を都で晴らした事があるので、相当な自身と度胸があったのでしょう。
03月09日
21:23
2: U96
>RSCさん
ええっ!それは存じませんでした。詳しく教えて下さい。
03月10日
13:15
3: RSC
簡単に申し上げると、陸遜は孫権の存命時にその後継者争い「二宮の変」に巻き込まれました。孫権から問責を執拗に受けた陸遜はそれが原因か急死。子の陸抗にも孫権は問責を続けましたが、使者に対し陸抗は整然と答え、ようやく孫権も疑いを解いたそうです。
03月10日
17:02
4: U96
>RSCさん
思わずウィキペディアを見てしまいました。
これは孫権の帝としての器を疑ってしまいますね。