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U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : 三國志

2019年
03月07日
20:04

呉の滅亡(その8)

 楊肇の軍が西陵の封鎖陣地の外側に到着すると、呉軍のなかから将軍の朱喬 や営都督の兪賛が晋軍に投降してしまいました。特に兪賛は昔から軍の事務を扱っていたことから呉軍の各部隊の戦力、部隊の配置にいたるまで内情をよく知っていました。陸抗は兪賛から情報を得た晋軍が、訓練のレベルが低く選抜された精鋭ではない夷兵(漢民族以外の少数民族の兵士)が守備している部分に攻撃をかけてくると推測し、夷兵に変えて古参兵を配置しました。楊肇は兪賛のアドバイスに従って、かつては封鎖陣地の弱点であった夷兵が配置されていた部分に攻撃をかけました。しかしそこは、すでに呉軍の精鋭が守りを固めており、晋軍は陣地を突破できず、陣地から降り注ぐ矢石のために損害は増すばかりでした。さらに陸抗が他の部分から増援を抽出して戦闘に投入したために、晋軍は多数の死傷者を出して退却しました。
 273年1月、陸抗が指導して構築させた封鎖陣地は完璧で楊肇と歩闡による封鎖陣地を突破するための試みはすべて失敗しており、両軍は4カ月もの間、対陣を続けていました。打つ手がなくなった楊肇は、夜の闇にまぎれて退却を始めました。陸抗はこれを追撃したいと思いましたが、歩闡が封鎖陣地の内部で数万の戦力を維持して呉軍の包囲のすきを窺っており、内側からの攻撃に対処するためもあって兵力が足らず、鼓を鳴らして厳戒態勢をとり、追撃をするかのように見せかけました。この呉軍の様子を見た楊肇の軍は追撃されると誤認してパニックに陥り、鎧甲を脱ぎ捨てて逃走を始めました。陸抗はただちに軽装兵で晋軍を追撃させます。この追撃によって、楊肇の軍は大敗北をこうむってしまいました。西陵の救援に向かった楊肇が大敗したために、羊祜らの晋の各軍も退却しました。かくして西陵は完全に孤立しました。ここにおいて陸抗はついに攻撃を開始し、救援の望みが絶えた西陵は簡単に陥落しました。
 この戦いに敗北した羊祜は、呉に陸抗がいる限り征服が成功しないことを悟りました。
(つづく)

コメント

2019年
03月07日
20:14

1: RSC

つまり陸抗がいなくなった時がチャンス、ですね

2019年
03月07日
20:16

2: U96

>RSCさん
はい。そうなのですが、まず晋国内の戦争反対派をどうにかする必要がありました。

2019年
03月07日
22:44

しかしまあ、この後の八王の乱のことを思うと呉があったままのほうが晋って安定していたような気すらしますね・・(経済的には江南優位で困るでしょうけど)

2019年
03月08日
06:29

4: U96

>闇従(あんじゅう)さん
八王の乱の結果、また三百年も中国は動乱の時代になるのですね。呉の存在が晋を結束させていたかもしれません。

2019年
03月08日
19:53

5: CAOCAO

昔レッドクリフを見たときに、長坂の戦いで逃げる劉備軍がよく磨かれた盾で太陽の光を反射させて、追撃する曹操軍を怯ませるシーンがありましたが、退却の際は重い盾なんか邪魔で捨てるんじゃないか…?と思ってました
算を乱して逃げるときは鎧も脱ぐものなんですね

2019年
03月08日
20:56

6: U96

>CAOCAOさん
はい。行軍するときも脱いで、巻いて背中に背負います。
つまらない話ですが、宋の頃には鎧は29.8kgを越えてはならぬと勅令が出ております。