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U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : 三國志

2019年
03月03日
15:07

呉の滅亡(その5)

 重要拠点である西陵の喪失は国家の重大な危機であるため、楽郷に駐屯していた陸抗は、将軍の左奕、吾彦、蔡貢を先発させて西陵を包囲させ、続いて配下の諸軍を率いて西陵に奪還に向かいました。陸抗が西陵に到着してまず行ったことは、陸上から西陵への接近を封鎖する、二重の封鎖陣地を築くことでした。これは内側は歩闡を包囲し、外側は晋の救援軍を阻止するためのものでした。昼夜の別なく工事を続けたために、将兵はこれが理解できずに苦しみ、配下の将軍たちは陸抗に、兵士や民衆を疲労させるだけの工事を中止し、すぐに西陵を攻撃すべきだと主張しました。陸抗は、西陵の防御工事は自分自身が指揮して行ったもので、西陵の攻略には時間がかかることを知っていました。陸抗は、二重の封鎖陣地が完成しない間に晋の援軍が到着すると、呉軍が内と外から攻撃され、防御する手段がないことを恐れていたのです。
 陸抗は配下の将軍たちに西陵の防御がいかに堅固かを身をもって体験させるために、特に攻撃を願い出た宜都太守の雷譚に攻撃を許しました。この攻撃は陸抗の意見の通りに失敗しました。将軍たちは陸抗の分析が正しいことを知り、陸抗の方針に従って封鎖陣地は完成しました。この陣地がいかに有効であったかはすぐに証明されることになります。
(つづく)

コメント

2019年
03月03日
20:59

1: 退会済ユーザー

この日記を読んでも
諸葛亮の北伐の件のところをドラマで見ても思うのは

やっぱ一騎討ちとかは後世の創作なのかな~~~~?、と

関羽vs黄忠は100%フィクションだそうですし・・・

2019年
03月03日
20:59

2: RSC

陸遜もそうでしたが、呉では陸という姓の人は最初に苦労する運命なのでしょうか・・・。

2019年
03月03日
21:23

3: CAOCAO

包囲軍が逆に挟撃される危険性や、あえて無茶な攻撃をして失敗させるなどというと、多少状況は違いますが秦と楚の鉅鹿の戦いを思い起こさせます

鉅鹿では攻撃の失敗によって援軍が尻込みするようになりましたが、失敗でかえって自軍を引き締めるとは、やはり陸抗は名将ですね

2019年
03月03日
21:39

4: U96

>倶利伽羅いちろうさん
曹操が指揮官は最前線に出てはいけないと言っております。

2019年
03月03日
21:41

5: U96

>RSCさん
それはわかりません。わからなくてごめんなさい。

2019年
03月03日
21:56

6: U96

>CAOCAOさん
はい。防御側の方が有利か?攻撃側の方が有利かはアメリカ南北戦争の頃まで論争が続きました。次回は陸抗と羊祜の騙し合いを書きます。