第2には、晋の建国以来、鮮卑、羌といった遊牧民族が多く居住する涼、秦州(甘粛、陝西省、寧夏自治区)で不穏な動きがあり、その統治政策は重要な政策課題でした。地方官に人材を欠いたことから、この地方の遊牧民族は鮮卑の大人(部族連合の長)の禿髪樹機能を中心として晋の命令に従わなくなっていました。しかもこれが大問題になったのは、鎮圧に向かったこの方面の州の長官が続けて敗死したことです。270年に樹機能を討伐した秦州刺史の胡烈が万斛堆において敗死し、271年6月には金城に侵入した遊牧民族を迎撃した涼州刺史の牽弘が敗死しています。2人とも勇猛をもって知られた将軍だったために、晋の政府のショックは大きなものがありました。この他にも278年には涼州刺史の楊欣が武威において敗死しており、涼州、秦州の遊牧民族問題は、呉征服に反対する高官たちのよい口実でもありました。樹機能は馬隆によって滅ぼされますが、これによって完全に涼州、秦州の遊牧民族問題が解決したわけではありません。やがて「五胡」と総称される遊牧民族の侵入によって晋が中国の北半分を失ったことから、遊牧民族対策が晋の政権の最重要課題であったことが明らかになりました。
(つづく)
コメント
02月23日
20:32
1: RSC
三国時代の方が防げていたというのは何か皮肉ですね。
02月23日
21:07
2: U96
>RSCさん
はい。むしろ傭兵として雇っていましたからね。
02月24日
21:42
3: CAOCAO
馬隆が北方・西方異民族の討伐をしたというのは、曹丕が五路から蜀に侵攻した際に、馬超が先祖の馬援の威光を利用して追い返した話を思い起こさせますね
姓が同じだから、もしかして一族だったのかなぁ…
禿髪氏は、その後の五胡十六国にもたびたび出てきますね
全然関係ない話ですが、最近頭髪が大分薄くなってきたので、樹機能ってやっぱりハゲだったのかなと気になってますw
02月25日
18:17
4: U96
>CAOCAOさん
では篠田耕一さんに聞いてみましょうか?
大丈夫です。今日日薄毛は薬で治るのです。皮膚科でAGEの治療をして下さいと頼んで見てください。ただし保険が利きません。月1万くらいかかります。
02月25日
19:16
5: CAOCAO
まぁ今回も思いつきで言っただけですので…
前回のように、何かの折にまとめて聞いてもらえる機会があれば嬉しいです
02月25日
20:45
6: U96
>CAOCAOさん
承知致しました。