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U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : 三國志

2019年
02月22日
19:44

呉の滅亡(その1)

 分裂した中国を統一する最後の戦いは280年1月~3月の間に行われた晋による呉の征服戦です。この結果、晋による再統一が完成しました。
 この戦役の特徴は、前線の長さが非常に長く1400kmを越えていたことと、攻撃側の晋はその長大な前線を自分に有利に使い、戦史上まれにみる巧妙な分進攻撃を行なって勝利を得たことです。
 266年2月9日、魏の最高実力者である司馬炎は、魏の皇帝曹奐 から位を譲られ皇帝となり(晋の武帝)、ここに晋朝が始まります。すでに263年に魏が蜀漢を滅ぼしており、華北の国力が魏の建国のときから見てはるかに回復したことから、晋による再統一は目前と思われました。しかし、晋は内部に呉の征服戦を開始する前に解決しなければならない重要な問題を二つ抱えていました。
 晋の朝廷の内部において呉遠征に関する意見が統一されていなかったことがまず第1の問題です。皇帝の司馬炎は呉を征服して中国を再統一する意志を持っていましたが、賈充をはじめとする高官たちの多くが反対しており、わずかに羊祜、張華、杜預だけが賛成派でした。皇帝といえども、高官たちの意見を無視することはできず、そこで司馬炎は259年、呉征服の賛成派である腹心の羊祜を都督荊州諸軍事(荊州方面軍司令官)に任命し、対呉の最前線に置き、呉征服の計画の立案と準備をさせることにしました。
(つづく)

コメント

2019年
02月23日
19:42

1: CAOCAO

お、今回は晋と呉の戦についてですか
正直、蜀が滅亡した後に関してはあまり詳しくありませんが、楽しみにしています

広大な戦線というと、二正面作戦に代表されるように軍事上の禁忌の筆頭のような感じがしますが、相手が単独で、かつ自軍が優勢なら相手の戦力を分散させる事になるのかも知れませんね

2019年
02月23日
20:05

2: U96

>CAOCAOさん
晋の懸念は長大な防衛線、長江の存在です。ここには呉の強力な水軍力があります。まずは、長江の制海権(制河川権?)を奪うことが先決でした。楽しみにしていて下さい。