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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2019年
01月16日
20:46

岩崎城と長久手の戦い(その6)

 池田恒興の作戦について秀吉は、返事を引き伸ばしてうやむやにしようとしましたが、恒興はしつこく、娘婿の森長可と二人で、別動隊による三河攻撃を実施すべしと迫り、秀吉を大いに困らせ、実施せざるを得ない所まで追い込んでしまいました。
 秀吉にしてみれば、小牧山を圧迫しつつ伊勢方面を平定して、伊勢から長島、蟹江と軍を進めれば、楽田、犬山に備えて小牧山に展開している家康は、背後を脅かされて最終的には三河へ撤退せざるを得なくなる、それが分かっているのに、何を好きこのんで今の時点で危険な作戦を実施する必要があるのか、愚劣としか言いようがなかったのですが、ただ、その提案者が恒興であるということが問題でした。
 別動隊を作って三河へ向かうというが、岡崎城を陥落させるような大軍が敵地を隠密で行軍できる筈がなく、長蛇の列になって行軍している所を襲撃されれば、大敗北することは確実で、どう考えても無茶な作戦でした。恒興の言うところによれば、三河までの間にある織田信雄の属城は全て無人で、徳川方の情報網は眠っており、通過地の百姓は一切知らぬふりをしているとのことでした。
 戦略的には絶対に認めるべきではなかったのですが、ここで信長の乳兄弟の恒興にへそを曲げられてはどうにもなりません。もし恒興が最悪、戦線を離脱するようなことになれば、他の信長の旧臣たちはどう思うだろう、という思案の方が先に立ち、必ずしも負けると決まった訳ではない、などと考えて恒興の作戦を許可してしまいました。
 恒興の当初の案では、池田隊六千と森隊二千で行うことになっていましたが、秀吉はこれに戦さ上手で知られた堀秀政四千と秀吉の甥の三好秀次八千の軍勢を加えて二万人規模にして作戦を許可しました。
 秀吉にしてみれば、敵地を岡崎まで隠密行動で進むのは到底無理で敵に発見されるに決まっているのだが、敵に発見されてもそれを撃退できるだけの戦力を与えておけば、なんとかなるのではないかというところでした。
(つづく)

コメント

2019年
01月16日
21:04

1: RSC

作戦が通ったのは猛将であり、信長の直臣でもあった長可の働きかけが大きかったのではないでしょうか。

2019年
01月16日
21:47

2: U96

>RSCさん
なるほど。森長可までむげに無視という訳にはいかないですね。ありがとうございます。