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U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : 南北戦争

2018年
11月19日
18:55

ストーンウォール・ジャクソン伝(その9)

 この呼びかけは功を奏し、南軍はとにかくもヘンリー・ハウス・ヒルの上にマナッサス~サドリー街道からロビンソン邸に至る戦列をつくることができました。ここで、南軍は北軍の攻撃を待ちました。
 正午少しすぎに、北軍の五個旅団(兵力一万近く)が丘を登って攻撃をかけました。ビー准将は最初の突撃で戦死しましたが、このころにはボーレガードとジョンストンがともにブラックバーンの浅瀬から到着しており、両将軍の臨場を得て南軍は踏みとどまりました。しばしの中断ののち、北軍は隊列を整え直し、再び猛烈だが連携を欠く攻撃をしかけてきました。南北両軍が至近距離での戦闘を続ける一時間以上にわたる間、丘の上は銃火に照らされ、先込め銃の鼻を突く煙が漂いつづけていました。
 勝機を感じ取ったマクダウェル少将は、午後二時ごろ、砲兵二個中隊(グリフィンとリケッツ)にヘンリー・ハウス・ヒルに上がって南軍左翼に砲撃を加えるように命じました。しかし、その位置は危険なほど防備が薄く、地面が平坦でなかったことから南軍にたいした打撃は与えられない結果となりました。さらに、砲手自身がマナッサス街道沿いの茂みからの側面攻撃にさらされることになりました。戦闘のさなか、青服の連隊がこれらの茂みから現れ、北軍砲兵陣地から50メートルそこそこの地点まで近づいたのです。制服の色から味方の歩兵が支援に来たのだと思った砲手たちは、正面の南軍戦列の中央に注意を集中しつづけました。しかし、現れた連隊はチャールズ・カミングス大佐指揮するヴァージニア第三三連隊でした。大佐は隊列を整えると一斉射撃、続いて銃剣突撃を命じました。大砲を奪取した南軍は、その砲門をかつての所有者たちに向けました。北軍も反撃して大砲を取り返しました。砲台は三度もその帰属を変えました。
(つづく)

コメント

2018年
11月25日
23:30

1: k-papa

命名したビーさん、直ぐに亡くなったのですね。
気の毒な。

2018年
11月26日
06:28

2: U96

>k-papaさん
はい。ビー准将、戦死してしまったのですね。生き残っていたら、昔話で「ストーンウォール・ジャクソンは俺が名づけたのだ!」とか言っていたかもしれないですね。