こうしてせっつかれたマクダウェル少将は、1861年の夏の時点における戦略的状況に内包される可能性を検討しました。
投入されている両陣営の軍は四つありました。1、首都対岸のアーリントンにあるマクダウェル自身の軍で、6月初頭の時点で兵力約3万でしたが、中旬には3万7千に。2、マナッサス分岐点駅にあるP・G・T・ボーレガード少将指揮のやや小規模な南軍。3、ハーパーズ・フェリー付近でロバート・パターソン少将指揮する第二の北軍。4、ジョーゼフ・E・ジョンストン将軍指揮するシェナンドア渓谷にある南軍。5、第三の北軍部隊がベンジャミン・バトラー少将指揮のもと、ノーフォークからジェームズ川を隔てた対岸のモンロー砦にありましたが、遠隔すぎ、ヴァージニア北部での戦略的状況に影響を与えるものではありませんでした。
それぞれの北軍は対する南軍に数の上で勝っていましたが、情報収集が十分でなく、この事実はどちらの司令官にも知られていませんでした。
(つづく)
コメント
11月07日
21:09
1: RSC
アメリカ軍司令は全員階級が少将なのですね。
11月08日
01:16
2: U96
>RSCさん
はい。アナコンダ作戦を立案したスコット名誉中将も実際は少将でした。