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U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : クリミア戦争

2018年
09月17日
17:57

クリミア戦争史(その46)

 オメル・パシャの部隊はグルジアのミングレリア侯国まで進みましたが、そこでロシア軍に阻まれてしまいました。その後も、オメル・パシャの軍は深い森や湿地帯に迷い込み、豪雨にたたられて、前進できない状態でした。息子のセリム・パシャの軍の進度はさらに遅く、エルズルムから先にはなかなか進めない状態でした。その頃になって、セリム・パシャの軍の規模は20000ではなく、実はその半分以下にすぎないという事実が判明しました。11月22日、英国の外交官がカルスのウィリアムズ司令官と覚書を交わしました。そこには、セリム・パシャの軍がカルスに来ないという情報が記されていました。すべての望みを絶たれて、ウィリアムズ将軍はムラヴィヨフ将軍に降伏しました。ムラヴィヨフ将軍はトルコ軍の傷病兵4000人の看護を約束し、3000人の兵士と市民に食料を配布しました。
 ロシア軍は、カルスを奪うことによって、連合軍がロシア領内で占領している面積を上回る規模の敵国領土を得ました。アレクサンドル二世は、カルスの勝利がセヴァストポリの敗北を補って余りあると見なし、これを好機としてオーストリアおよびフランスに講和を打診すべきだと考えました。11月の末には、パリとサンクトペテルブルクの間で直接的な接触が始まりました。パリでロシアの利益を代表していたザクセン公国の駐仏大使ゼーバッハ男爵はロシア外相ネッセリローデの女婿でした。そのゼーバッハとナポレオン三世の従弟でフランス外相を務めていたアレクサンドル・ヴァレフスキ伯爵の会談が実現したのです。ゼーバッハがネッセリローデに送った報告によれば、ヴァレフスキ外相はロシアとの和平交渉に「個人的には大いに関心を抱いている」が、ナポレオン三世は英国との同盟関係を堅持する意向でした。もしロシアが和平を希望するなら、たとえば、黒海におけるロシアの海軍力の制限など、交渉開始に消極的な英国をフランスが説得し得るような材料を提供する必要があるというのが、ゼーバッハの得た感触でした。
(つづく)

コメント

2018年
09月17日
19:38

ミングレリア侯国 初めて聞きました。
調べてみると 侯国 って結構あったのですね。

嫌に大きな一進一退です。
欧州主導だと複雑な政治で掻き回される。
トルコは ここから第一次大戦に向かうのですね。

2018年
09月17日
19:41

2: RSC

前線の悲惨さに比べて、どこの国もまだ戦闘継続可能というのが驚きです。

2018年
09月17日
19:55

3: U96

>ディジー@「本好きの下剋上」応援中さん
はい。中央アジアの方にも小さな国がたくさんありましたが、ロシアが南下してきました。

英国がロシアを弱体化させるために世界的な武装蜂起を起こさせようと考えていたので、フランスとしてはついていけなくなりつつあります。

2018年
09月17日
20:02

4: U96

>RSCさん

はい。しかしながら、フランスは国内にかなり無理な動員をかけており、英国より損害も多かったので、二度目の冬は越せないというのが現状でした。

一方で陸軍は問題外の英国は蒸気戦艦、新型砲で自信をつけ、サンクトペテルブルクを封鎖することを真剣に考えておりました。