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U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : クリミア戦争

2018年
09月04日
15:51

クリミア戦争史(その42)

 マラホフ要塞を制圧したマクマオン師団の兵士たちは、ズアーヴ連隊を先頭にしてロシア軍の防衛線を次々に突破し、要塞の左側に位置するジェルヴェ砲台付近で激しい接近戦に突入しました。一方、その他のフランス軍部隊も防衛線上にある別の要塞に向かって殺到しました。ズアーヴ連隊はジェルヴェ砲台を確保しましたが、その右手に位置していたロシア軍のカザン連隊を撃破することはできなかったのです。カザン連隊のロシア兵は果敢に戦って地歩を守り、セヴァストポリ市内からの援軍を迎え入れて反撃に出ました。ジェルヴェ砲台とマラホフ要塞の間の地面は数分を経ずして死体で覆われてしまいました。最終的には、次々に援軍を投入したマクマオン師団が優秀なライフル銃の威力を発揮して接近戦を制し、ロシア軍を退却に追い込みました。フランス軍は奪取したマラホフ要塞に応急の補強を加えて地歩を強化しました。半ば破壊された蛇籠や粗朶を集め、銃眼を整備し直し、土嚢の代わりにロシア兵の死体や時には重傷者さえも積み上げてバリケードを立て直し、その背後に重砲を設置してセヴァストポリに砲口を向けました。
 この間に、英国軍もレダン要塞への攻撃を開始していました。レダン要塞への攻撃は、ある意味ではマラホフ要塞よりも困難でした。レダン要塞の前には岩だらけの台地が広がっており、塹壕を掘って近づくことができませんでした。要塞を攻めるには、身を隠す手段のない空間を走り抜け、至近距離からの砲火を浴びつつ、逆茂木群を這い登らなければならなかったのです。また、レダン要塞がV字型をなしていることも攻撃側に不利でした。攻撃側が溝を渡り、胸墻を攀じ登ろうとすれば、側面からの砲火にさらされるからです。ロシア軍はレダン要塞の内外に地雷を仕掛けているという噂も流れていました。しかし、マラホフ要塞がフランス軍の手に落ちると、レダン要塞の守りにも隙が生じたように見えました。
 6月の攻撃と同様に、英国軍はフランス軍の動きを待って行動する予定でした。しかし、今回は、マラホフ要塞に三色旗が翻るのと同時にレダン要塞に向かって突進しました。ぶどう弾とマスケット銃の銃弾が降り注ぐ中、およそ1000人の英国兵がどうにか逆茂木群を乗り越えて城壁直下の溝の中に転がり込みました。抱えてきた梯子は、その半数以上が途中で失われていました。ロシア軍は頭上の胸墻から狙い撃ちしてきました。胸墻を攀じ登る手立ては見つからなかったのです。多くの兵士が溝の底にもぐり込んで身を隠そうとしました。しかし、ついに何人かが城壁を攀じ登って胸壁を乗り越えることに成功しました。要塞に突入した兵士の大半がその場で敵の銃弾に倒れたが、彼らが示した先例を見倣って、後続の部隊が次々に城壁を攀じ登りました。要塞直下の溝とその周囲の斜面は大混雑となりました。胸墻上で展開される肉弾戦の圧力が激しいために、城壁を攀じ登ることができなかったのです。いったんレダン要塞に入っても、その内部は一連の横墻によって固められていました。各横墻にはロシア軍が次々に補強部隊を送り込んでいました。要塞内に突入した英国兵は横墻と横墻の間に閉じ込められて孤立し、V字型の要塞の両翼からの十字砲火にさらされました。城壁の下の溝の中に群がっていた英国兵の士気が崩壊し始めました。胸壁を攀じ登るように督戦する上官の命令を無視して数百人単位の兵士が城壁の突出部にしがみつき、動こうとしませんでした。その兵士たちも要塞翼部からのロシア軍の側面射撃を受けて数十人単位で倒れていきました。多くの兵士が完全に戦意を失って塹壕まで退却しました。規律が完全に失われ、総崩れが始まりました。パニックを起こして潰走する兵士もいました。
(つづく)

コメント

2018年
09月04日
16:09

フランス軍が優勢にして、イギリス軍で押し返される。が繰り返されていますねぇ。

2018年
09月04日
17:17

2: U96

>ディジー@「本好きの下剋上」応援中さん
はい。そろそろ私もこの連載いつ終わるだろうと思い始めてきました。なぜこんな事を言うのか?それは南北戦争の連載では爽快だったのにクリミア戦争の連載は不毛を感じ始めているからです。この連載が終わったら、もう一度南北戦争を書いてもいいですか?

2018年
09月04日
17:32

3: RSC

完全な消耗戦、というかガードと連続攻撃を禁止されたボクシングみたいな感じですか(一発殴って耐えての繰り返し)。

2018年
09月04日
17:48

4: U96

>RSCさん
はい。そろそろロシアのスタミナが切れる計算なのですが・・・