ロシア軍は連合軍の来襲が切迫していることを予測していました。ただし、ロシア軍の予測では、連合軍はボロディノ会戦の記念日にあたる9月7日に攻撃してくるはずでした。1812年の9月7日、ロシア軍はボロディノでナポレオン軍を撃破し、その三分の一を殲滅するという大勝利を収めました。しかし、9月7日、連合軍の攻撃はありませんでした。ロシア軍は警戒を緩めました。翌9月8日の払暁、午前5時に連合軍の砲撃が再開されました。英仏軍の大砲は1分間に400発の発射速度で猛烈な砲撃を加えてきました。砲撃は午前10時に中断されましたが、歩兵の突撃はありませんでした。ロシア軍は連合軍の突撃はこれまで同様、早朝か夕暮れだろうと予測しました。その予測を裏づけるように、午前11時頃、インケルマン高地のロシア軍見張所から海上の英仏艦隊が砲撃準備隊形と思われる動きをしているとの報告が入りました。報告は誤りではありませんでした。連合軍は海軍を動員してセヴァストポリの沿岸防御施設を攻撃する計画でした。しかし、その日の朝、天候が急変し、強い北西風が吹いて海が猛烈に時化たために、最後の瞬間になって海軍の作戦は中止されました。
歩兵部隊の突撃開始の時刻は正午とすることが決まりました。正午はロシア軍が衛兵交代を行なう時刻で、ロシア軍にとって最も予想外の時刻でした。この決定にはボスケ将軍の判断が大きく影響していました。
連合軍の作戦は、基本的に6月18日の作戦の再現でした。ただし、前回の失敗を繰り返さない決意でした。フランス軍が6月18日に動員した兵力は3個師団でしたが、今回は10.5師団を投入することになりました。マラホフ要塞を攻撃する5.5師団に加えて、5師団を投入してセヴァストポリを取り巻くその他の要塞を攻撃する計画でした。35000のフランス軍と2000のサルデーニャ軍による攻撃が始まろうとしていました。フランス軍の指揮官たちは互いに時計の針を合わせて時刻を確認しました。ロケット弾信号を取り違えて混乱を招いたメラン将軍の失敗を繰り返さないためでした。正午、鼓手が太鼓を打ち鳴らし、喇叭が響き、軍楽隊がラ・マルセイエーズを演奏しました。まず、パトリス・ド・マクマオン将軍の師団約9000人が塹壕から飛び出し、「皇帝陛下、万歳!」の叫び声とともに突進しました。フランス軍はズアーヴ兵を先頭にしてマラホフ要塞に殺到し、板や梯子を使って溝を渡り、要塞の壁を攀じ登りました。ロシア軍は不意打ちを食らった形でした。ロシア軍はちょうど守備隊交代の時刻であり、兵士の多くが後方に下がって昼食を取っていました。砲撃が止んだので油断していたのです。
ロシア軍はフランス軍の勢いに圧倒され、パニックに陥り、マラホフ要塞を逃げ出しました。要塞を守っていた兵士の多くは第15予備歩兵師団に属する十代の少年兵でした。実戦経験のない少年兵がズアーヴ兵に太刀打ちできませんでした。
(つづく)
コメント
09月01日
13:00
1: ディジー@「本好きの下剋上」応援中
ラ・マルセイエーズ キター!
「カサブランカ」の演奏シーンまでに、色々な戦場で演奏されていたのですね。
そして結果的にロシア軍の裏を突く攻撃になるとは、運も味方しています。
09月01日
13:46
2: U96
>ディジー@「本好きの下克上」応援中さん
歌詞の内容が血なまぐさいのが気になりますが、フランスの国歌ですね。
ボスケ将軍もほめてあげて下さい。
09月01日
14:26
3: RSC
ナポレオン三世に革命の歌の「ラ・マルセイエーズ」が捧げられるのもフランスの紆余曲折の歴史ですね。
09月01日
14:38
4: U96
>RSCさん
なるほど!ナポレオンは革命の混乱を終結させて、のし上がったのでしたね。