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U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : クリミア戦争

2018年
08月10日
21:24

クリミア戦争史(その37)

 サルデーニャ軍を攻撃する左翼部隊の指揮官はパーヴェル・リプランディ将軍で、フランス軍を攻撃する右翼部隊の指揮官はロシアに帰化したスコットランド人技師の息子リード将軍でした。二人の将軍には、追って指示があるまではチョールナヤ川を渡ってはならないという命令が総司令官ゴルチャコフから出されていました。そのゴルチャコフ総司令官は手元に残した予備師団をチョールナヤ川対岸のフェデューヒン高地に陣取るフランス軍に対して投入すべきか、それともガスフォート高地のサルデーニャ軍に対して投入すべきかを決めかねていました。将軍は第一波の砲撃を加えた後に敵陣地の防備態勢の状況を見究め、その結果に応じて予備師団を展開しようとしていました。
 ところが、ロシア軍の砲弾の多くは目標地点まで到達しなかったのです。砲撃音を聞いて、18000人のフランス軍と9000人のサルデーニャ軍は直ちに戦闘態勢に入り、最前線の部隊はトラクティル橋に向かって前進を開始しました。ゴルチャコフ総司令官は、副官のクラソフスキー中尉を伝令として前線のリード将軍とリプランディ将軍の許に送り、「直ちに開始せよ」との命令を与えました。しかし、リード将軍は命令の曖昧さにとまどいました。「いったい何を開始せよと言うのか?」と、クラソフスキー中尉は答えられませんでした。リード将軍は開始すべきは砲撃ではないと解釈しました。砲撃はすでに始まっていたからです。開始すべきは歩兵部隊の突撃しかない。そこで、将軍はチョールナヤ川を渡ってフェデューヒン高地へ突撃するよう命令しました。ただし、この行動を支援すべき砲兵部隊と予備歩兵部隊はまだ到着していなかったのです。一方、ゴルチャコフ総司令官は、リプランディ軍の斥候部隊がテレグラフ・ヒルからサルデーニャ軍の前哨部隊を簡単に駆逐した様子に勇気を得て、予備師団をリプランディ将軍の左翼戦線に集中的に投入することに決定していました。しかし、フェデューヒン高地に向かって突撃するリード軍の銃声を耳にすると、予備師団の一部に方向転換を命じ、リード軍の支援に向かわせました。後になってゴルチャコフが認めたところによれば、すでにこの段階で作戦は失敗する運命にあった。全兵力を一点に集中して強力な一撃を加えるべきところを、実際には兵力を分散させて二正面作戦を展開するはめになってしまったのです。
(つづく)

コメント

2018年
08月10日
22:41

せめて予備師団をサルデーニャ軍にぶつけて早く撃破してから仏軍を撃破する方針なら良かったのでしょうか?
 とりあえずホウレンソウは明確に!^^

2018年
08月11日
00:12

2: RSC

確かナポレオンがワーテルローで参謀の連絡力の衰えを嘆いていましたが、作戦の当初からゴルチャコフはやる気があんまり無かった感じも・・・。

2018年
08月11日
06:42

3: U96

>ディジー@「本好きの下克上」応援中さん
そうですね。ナポレオンは各個撃破の名人でした。まずは数的に劣勢のサルデーニャ軍を全滅させるべきだったでしょう。ホウレンソウ大事ですね。

2018年
08月11日
06:58

4: U96

>RSCさん
確か陽動のはずのウーグモン邸の攻撃を本気で戦ってしまったのでしたね。ベルギー戦役ではナポレオン自身の判断力も衰えていました。リニーの戦いでプロシア軍を敗走させて、これを追撃するために捜索の騎兵を一騎送り出しましたが、柘植久慶氏は私なら12騎は出すと発言しております。結果としてワーテルローの終盤、プロシア軍が来襲しました。
ゴルチャコフ将軍もボケてしまったのか・・・