ゴルチャコフ将軍は出撃作戦の効果について懐疑的でした。「敵は数的に優位であり、しかも堅固な塹壕を構築して我々を包囲している。そのような敵に対して現段階で攻勢に出ることは愚策としか言いようがない」。だが、皇帝はロシア軍が何らかの行動を起こすことに固執しました。国家の名誉を保持し、領土を保全するという条件で戦争を終結させたいと考えていた皇帝にとっては、何らかの軍事的成功を達成し、それによって英仏両国との和平交渉を有利に進める必要がありました。そこで、新たに三個師団の予備兵力をクリミア半島に増派するとともに、重ねてゴルチャコフ将軍に反抗作戦に打って出ることを命令しました(ただし、どの地点を攻撃目標とするかは指定しなかった)。
ゴルチャコフ将軍がわずかながらも勝算があると見込んでいた唯一の攻撃対象は、チョールナヤ川に近いフランス軍とサルデーニャ軍の合同陣地でした。「この合同陣地の中にある給水基地を奪取すれば、敵軍を側面から脅かし、それによってセヴァストポリへの攻撃を牽制して、その後の作戦を有利に進める道が開かれる可能性がないわけではありませんしかし、自信過剰は禁物です。この攻撃が成功する見込みは大きくありません」と、将軍は皇帝宛の返書に記しています。だが、アレクサンドル二世はゴルチャコフの慎重な意見に耳を貸そうとせず、8月3日、再び書簡を送って出撃を督励しました。「セヴァストポリで連日損傷が発生している事実は、私がこれまで繰り返し主張してきた出撃作戦の正しさを裏づけている。この恐るべき虐殺を終わらせるためには、何らかの決定的な行動に出る必要がある」。アレクサンドル二世はゴルチャコフが攻撃作戦の指揮責任を回避しようとする事態を見越して、皇帝は次のような一文でその書簡を締めくくっています。「私は出撃を希望する。だが、貴官が総司令官として責任を負うことを恐れるなら、貴官に代わって指揮の責任を負うべき緊急参謀会議の開催を許可する」
緊急参謀会議は8月9日に開催されました。出席した軍幹部の多くが出撃に反対でした。特に、オステン・サーケンは、セヴァストポリから撤退すべき潮時が来たと主張しました。「この海軍基地をいずれは放棄する事態が避けられないとすれば、これ以上犠牲を出すのは無意味ではないか」。他の将軍たちも、その大半が内心ではオステン・サーケンと同意見だったが、敢えて皇帝に逆らって出撃反対を表明する者は多くなかったのでした。最も大胆な提案を行ったのは、失敗に終わったエフパトリア攻撃作戦を指揮していたフルリョーフ将軍でした。フルリョーフは、1812年のナポレオン戦争でロシア軍がモスクワに火を放って撤退した例を引き合いに出しつつ、セヴァストポリを徹底的に破壊した上で現有の全戦力を投入して総攻撃をかけるべきだと主張しました。オステン・サーケンが、その種の自殺的な作戦を行なえば数万の人命が無駄に失われると反論すると、フルリョーフは答えました。「だからどうだと言うのだ。全滅したとしても構うことはない。我々は歴史に名を残すだろう」。しかし、比較的冷静な判断が優勢を占めました。緊急参謀会議は、チョールナヤ川のフランス軍・サルデーニャ軍合同陣地を攻撃するというゴルチャコフの作戦計画を多数決で了承しました。ただし、ゴルチャコフ自身はこの作戦の成功に最後まで疑いを抱いていたのでした。
出撃の日時は8月16日早朝に設定されました。前日の8月15日はフランス国民の祝日「ナポレオン一世生誕祭」であり、同時に、フランス人とイタリア人の両方にとって重要な「聖母マリア被昇天の祝日」でもあったので、フランス軍もサルデーニャ軍も夜遅くまで酒を飲んで祝っていました。両軍の兵士がようやく眠りについた午前4時頃、突然ロシア軍の大砲が火を噴いて彼らの眠りを破りました。
ロシア軍は早朝の霧に隠れてすでにトラクティル橋付近まで前進していました。その兵力は歩兵47000、騎兵10000、野砲270門でした。
(つづく)
コメント
08月09日
19:47
1: RSC
こういう時にもしっかりと酒を呑んで祝うのは、何となく仏伊らしいと感じてしまします。イギリスは祝いの酒などはどうしていたのでしょう。
08月09日
20:04
2: ディジー@「本好きの下剋上」応援中
ロシア軍 最後の突撃でありましょうか!?
軍幹部に 歴史に名が残れば全滅も辞さない と本気で言う人が居るのは迷惑ですね。
08月09日
21:22
3: U96
>RSCさん
英国国教会にそのような祝日がないのではないかと思います。ラテン民族は気楽ですね。
08月09日
21:26
4: U96
>ディジー@「本好きの下克上」応援中さん
ロシア軍最後の突撃です。
その後は市民を逃がして、要塞に立て籠りました。
最後は軍によって、セヴァストポリ市街に火が放たれました。
08月09日
21:29
5: U96
>RSCさん
失礼しました。英国兵には毎日、ラム酒が配給されております。