第九七連隊は将軍の号令に応じて突進しました。しかし、彼らを待ち受けていたのは大砲の放列とマスケット銃の一斉射撃でした。「突然、巨大な黒い波となって敵が押し寄せてきた」と、レダン要塞から状況を見ていたポドパーロフは回想しています。「やがて、薄明かりを通じて、梯子、ロープ、スコップ、板など、様々な物を抱えた敵兵の姿を見分けることができた。彼らはまるで蟻の大群のようにこちらに向かって近づいてきた。突然、戦線全体に喇叭が鳴り響き、我が軍の大砲が一斉に火を噴いた。大地が揺れ、雷鳴のような大音響が続き、硝煙が晴れると、要塞の前の地面には、死傷したフランス兵が累々と横たわっていた」。
メラン将軍自身もこの第一波攻撃で腕に重傷を負いました。それでも、エルベ大尉によって助け起こされた時、メラン将軍は退却を拒んで第二波の突撃を命じました。「第九五連隊、前進せよ!」。命令に従って、後続の第九五連隊が突撃しましたが、彼らもまたロシア軍の圧倒的な砲撃によってなぎ倒されました。フランス兵はメラン将軍の突撃命令を無視して、本能的に地面に伏せ、20分が経過し、戦場がフランス軍の死傷者で埋め尽くされた頃、ロケット弾が打ち上げられました。
ペリシェ総司令官は、攻撃態勢の混乱を何とか立て直そうとして本当の突撃開始を告げる信号弾の打ち上げを命じたのでしたが、メラン将軍が早すぎたとすれば、一方で、他の将軍たちの準備は立ち遅れていました。彼らは突撃開始の時刻が延期されるだろうと予測していたのです。後続の部隊に次々に突撃命令が下されたのですが、「指揮官たちが厳罰を振りかざして督戦しても、塹壕から出ようとしなかった」と、フランス軍政治部の責任者だったデッサン中佐は報告しています。
ヴォロンツォフ高地から戦況を観察していたラグラン英国軍総司令官は、フランス軍の突撃作戦が大失敗に終わろうとする様子を見て取りました。フランス軍の一部は左翼からマラホフ要塞に迫っていたが、その支援部隊もマラホフ要塞とレダン要塞からのロシア軍の砲撃によって撃破されつつありました。その時ラグランが取るべきだった作戦には、レダン要塞を砲撃することによってフランス軍を支援するという選択肢も含まれていました。しかし、ラグランは、事前の砲撃なしに、いきなりレダン要塞に突撃するという形にこだわりました。それが悲惨な結果に終わることは予測できたはずでしたが、ラグランにとって、突撃を強行することこそが名誉と義務を守る道でした。
(つづく)
コメント
08月04日
22:09
1: RSC
兵力の逐次投入の典型例みたいな顛末です・・・。
08月04日
22:49
2: ディジー@「本好きの下剋上」応援中
ラグラン指令は 今までの戦法を変えられない人だったのでしょうか?
それなら任命した三世の責任ですか!?
命令を無視した一般兵が正解のターン。
08月05日
04:54
3: U96
>RSCさん
要塞の突入経路は限られていますからね。
08月05日
04:58
4: U96
>ディジー@「本好きの下剋上」応援中さん
ラグラン総司令官は英国軍の手柄にならないことはやらないのです。