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U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : 潜水艦,Uボート

2018年
07月19日
15:26

Uボートの給与

 今日は、第二次大戦のドイツ潜水艦乗組員の給与について書きたいと思います。
基本給の基準はドイツ国防軍全体で公平に統一されていて、例えば、一等水兵の基本年棒は1080ライヒスマルク(約432ドル相当)で、陸軍の同階級とほぼ同額でした。しかしながら、これ以外にも、海軍要員への給付金は幅が広く、しかも下士官位は階級構造が複雑だったため、一般的に進級が早いという恩恵もありました。
 住宅手当や養育手当、戦地加俸はドイツ国防軍の全将兵に支払われましたが、潜水艦乗組員にはこれらに加え、いくつかの特別給付がありました。例えば、兵は作戦中に洋上でかかる日々の消費に対して、「閉所加俸」を受給しました。その額は階級に応じて異なり、技術職については兵種ごとに増額されました。さらに、本国水域での訓練中は特別給付「潜水加俸」もありました。これも階級ごとに額が異なり、艦が潜航するたびに日当で支払われました。これらの支給は戦時中に単純化され、多少の増額もなされました。例えば、1941年3月には、下士官の潜水加俸が従来の1.5ライヒスマルクから2.5ライヒスマルクに増額し、1944年11月になると哨戒中の諸給付が一本化され、階級にかかわらず1日当たり2ライヒスマルクに固定されました。
 潜水艦乗組員は早い進級と高額の加俸・手当によってかなりの蓄財ができました。特に士官は、戦地加俸だけで生活でき、残りは自宅で貯金しました。その一方で、所持金を瞬く間に使ってしまう者もいました。Uボート・アルヒーフのインタビューで「海の上に4ヶ月もいれば大金がもらえましたよ」とU518(艦長フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴィスマン大尉)のペーター・ペーターゼン元乗組員は答えています。「給料はいいし、ボーナスも多かったので、羽振りは良かったですね。だから、ガールフレンドやらビールやらプレゼントやらに、パーッと使ったというわけです」。
 このほかの特典として、潜水艦乗組員には帰郷休暇がありました。一般方針として、乗組員には哨戒を終える毎に10~12日間の帰郷休暇が順次与えられ、帰港から48時間以内に半舷が艦を降りていきました。移動には特別に、特急列車が与えられて、帰国できました。
 休暇についても、潜水艦乗組員は優遇されていました。平均的なドイツ軍兵士は、14日しか年休が与えられていませんでした(移動のためにさらに2日付与)。その取得も戦時動向に左右されました。東部戦線の兵士の場合、1年以上休暇が取れないことも稀ではありませんでした。歩兵部隊指揮官たちは、戦闘能力向上の最善策を問われて、せめて半年に15日の帰郷休暇を取れるようにしてほしいと強硬に主張しましたが、それは徒労に終わりました。一方、潜水艦乗組員には、平均してまさに15日休暇が取れるよう、1944年の海軍規定に盛り込まれました。
 休暇に加え、潜水艦乗組員には滞港時間が休暇と同じほどありました。乗組員の半数が帰郷休暇を楽しんでいる一方、半数の乗組員は艦の清掃、塗装、修理、エンジン、モーターのオーバーホール、新装置の設置と試験を行ない、さらに、新型の魚雷やレーダー逆探知装置、対空砲に関する教育を受けました。これらは、ほとんど正規勤務時間内に行なわれたので、日が暮れたら自由の身になりました。宿舎には、スポーツ施設や映画館も備わっていました。以上のように、潜水艦乗組員は実働時間の3分の1を港あるいは帰郷休暇で過ごしていたと考えられます。

コメント

2018年
07月19日
21:02

>ライヒスマルク
この頃の追加はライヒスマルクって言うんですね。
今のお金でどれ位なんでしょう?

2018年
07月20日
02:51

2: U96

>櫻 弾基地(縮小中)さん
実はナチスが政権を取ってから物価が上がっており、1932年ン3月の平均月収が税込み129ライヒスマルクだったのが、1936年には税込み140ライヒスマルクになっております。もちろん貧富の差はあり、ブルーカラーは100ライヒスラルク未満、中堅官吏の月収200ライヒスマルク、病院の医長の月収500ライヒスマルクでした。今のお金に換算するのは私には無理でした。参考までにツェンダップ社のオートバイが540~1495ライヒスマルク、オペル・オリンピア級の自動車が2000ライヒスマルク、マンション1カ月の家賃がだいたい32ライヒスマルクと資料にあります。

2018年
07月20日
03:01

3: U96

>櫻 弾基地さん(縮小中)さん
こんな資料が出てきました。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/...