おたくの為のSNS おたくMk2

U96さんの日記

(Web全体に公開)

2018年
07月18日
17:20

Uボートの出港

 ・・すみません。「クリミア戦争史」は資料収集のため、何日かお休みさせていただきます。

 第二次大戦が勃発すると、ドイツ海軍では潜水艦が出港するにあたり、BGMとして軍楽隊による壮麗な吹奏を実施しました。戦時下の軍艦の行動を極力秘匿していた日本海軍では考えられないことですが、出撃時の典型的な様子は次のようなものです。
 Uボートが出撃する埠頭には、正装した海軍軍楽隊隊員がずらりと整列し、行進曲や海軍の軍歌を次々と奏でるなか、一人の女性が乗組員の代表者に花束を贈呈します。この花束を受け取る役の人選は艦長に任せられていて、当の艦長をはじめ先任将校や機関長、あるいは、その艦にもっとも長期間乗り込んでいる下士官が指名されたりしました。
 そして出港までやや余裕がある場合には、花束は甲板上に整列した全乗組員の手から手へとリレーされながら、一輪づつ抜き取られ、各人がその一輪を軍帽や軍服に飾ることもありました。
 一方、花束を贈呈する女性は、戦時下なので民間人や乗組員の家族ではなく、多くの場合、そのUボートが所属する戦隊の司令部付きの海軍婦人補助部隊員や、近隣の海軍病院の看護婦といった女性軍人や女性軍属でした。また、女性はそれだけでなく、なるべく大人数が見送りに来るのが望ましいとされていました。
 そのため、陸海空でドイツの勝ち戦が続き、レジスタンス活動も下火だった大戦初期のフランスのUボート基地、例えばブレストやロリアンでは、Uボート乗組員をひいきにしていたフランス人娼婦たちが大挙して見送りに来るのを戦隊司令部が黙認するという、「規制緩和」もあったようです。
 なお、吹奏する軍楽隊は基本的にはそのUボートが所属する戦隊の直属部隊でしたが、ドイツ本国の軍港では軍港直属の軍楽隊が吹奏することもあり、別の戦隊への転属に際しては、新しい配属先の戦隊の軍楽隊が新任地の港で迎えてくれました。
 帰港して凱旋するUボートもまた、軍楽隊の吹奏と女性の花束で迎えられました。帰港直後には戦隊司令部主催の凱旋祝賀会が催されるのが慣例でしたが、この宴席は無事生還できた喜びで大騒ぎになるのが常でした。
 しかしこれらの習慣も、戦況の悪化にともなってしだいに催されなくなり、1944年中盤以降にはほとんど実施されなくなってしまいました。

コメント

2018年
07月18日
18:04

ワーグナー位しか思いつきませんが、どんな曲を演奏していたのでしょうね。

派手好きなナチスらしいですね。

2018年
07月18日
19:56

2: U96

>ディジー@「本好きの下克上」応援中さん
日記の最後に貼り付けましたが、有名なドイツ民謡「ムシデン(旧友)」とかですね。

もう一つ貼り付けておきますね。「アルブレヒト大公行進曲」をどうぞ。