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U96さんの日記

(Web全体に公開)

タグ : クリミア戦争

2018年
07月14日
07:01

クリミア戦争史(その22)

 1月7日、ロシアの駐ウィーン大使アレクサンドル・ゴルチャコフ公爵が英仏墺三ヵ国の対露要求四項目を受諾する旨の通告を行ないました。黒海の制海権放棄に関する第三項目を含めての全面的な条件受諾でした。その頃、生涯の最後を迎えようとしていたニコライ一世は、必死に和平交渉を進めようとしていました。オーストリアと英仏両国との間に軍事同盟が成立して以来、ニコライ一世はロシアが単独で全ヨーロッパを相手に全面戦争を戦うという悪夢に怯え、クリミア紛争からの「名誉ある出口」を探し求めていました。しかし英国は四項目条件を受諾するというロシアの意図を疑っていました。1月9日、ヴィクトリア女王はクラレンドン外相に向かって、四項目受諾通告は英仏連合軍によるクリミア半島奪取を阻止するためのロシアの「外交的策略」にすぎないという見解を明らかにしました。軍事作戦は中止すべきではなく、ロシアによる四項目受諾を実効あらしめるためにも、セヴァストポリを奪取すべきだと女王は信じていました。パーマストン首相も女王の意見に賛成でした。パーマストンはロシア軍に対する春季攻勢を計画しており、その計画の邪魔となる和平構想に参加するつもりは毛頭なかったのです。
 一方、フランス政府の閣僚たちの間には、ロシアの条件受諾通告を額面通りに受け止め、交渉による紛争解決の可能性を探ろうとする機運が生まれました。その動きは2月に入ってさらに強まりました。ナポレオン三世がみずからクリミア半島に赴いて軍事作戦の指揮を取る意向を表明したのです。側近や閣僚たちは、何とかしてナポレオン三世のクリミア行きをとめようとしました。英国のパーマストン首相とクラレンドン外相も、ナポレオン三世の「馬鹿げた計画」を阻止するためにあらゆる努力を払うべきであるという点で意見が一致していました。そのためならば、和平交渉を前提とするウィーン会議の開催も容認せざるを得なかったのです。ヴィクトリア女王の夫アルバート公も和平支持派のひとりでした。5月初旬の段階で、アルバート公は、トルコとヨーロッパの安全を保障するためには、ロシアとの戦争を継続するよりも欧州列強とドイツ諸邦との外交同盟の方が有効であるとの結論に達していました。
 ウィーン会議が長びくにつれて、パーマストンは何とかして会議を失敗に終わらせ、規模を拡大して戦争を再開するという決意をますます強めていきました。一方、戦争か講和かの選択について決定的な鍵を握るフランス皇帝ナポレオン三世は揺れ動いていました。ドルーアン・ド・リュイ外相は、ロシア艦隊の黒海支配を制限することを条件としてオーストリア和平提案を受け入れるよう勧告していました。一方、英国の駐仏大使カウリー卿はオーストリアの和平提案の内容がロシアの黒海艦隊を壊滅させるという目標から程遠いことを指摘し、目標の達成に至る前に和平に応じることは国家の恥辱であると主張しました。5月4日にパリで行われた会合にはフランスの陸軍相ジャン・バプティスト・ヴァイヤン元帥が出席し、カウリー英国大使の説を擁護して、軍事的勝利を達成する前に和平を受け入れることはフランスの名誉を汚すと主張しました。そのうような和平は軍隊の士気に悪影響を与えるばかりか、第二帝政の政治的安定をも揺るがしかねないと論じたのです。和平構想は却下され、ドルーアン・ド・リュイ外相は辞任し、ナポレオン三世は気が進まないながらも、ロシアに対する戦争拡大方針に踏み切ったのです。これで英仏同盟関係は維持されました。
 ロシアとの戦争を拡大する方針が決まった頃、新たな同盟軍が出現しました。1855年1月26日、ピエモンテ・サルデーニャ王国(以下、サルデーニャ王国)と英仏両国との間に軍事同盟が成立したのです。イタリア諸邦のうち、すでにオーストリアの政治支配を脱していたサルデーニャはこの軍事同盟を根拠としてクリミアへの派兵を決定しました。アルフォンソ・ラ・マルモラ将軍を指揮官とする15000人のサルデーニャ軍は5月8日にクリミア半島の英国軍陣地に到着しました。
(つづく)

コメント

2018年
07月14日
10:20

とうとうサルデーニャが参戦です!
更に複雑化してきましたね。

和平会議も長引くと かえって好戦的になる事もあるものですねえ。

2018年
07月14日
12:06

2: RSC

ナポレオン三世がいまいち煮え切らないですね。

2018年
07月14日
16:14

3: U96

>ディジー@「本好きの下剋上」応援中 さん
はい。イタリア統一を世界に認めさせるためにひと旗上げたいと名乗り出たのです。

本当に何のための和平会議なのでしょうねえ。

2018年
07月14日
16:16

4: U96

>RSCさん
はい。そのうち、普仏戦争でセダンから出られなくなって、ひどい目に遭います。