おたくの為のSNS おたくMk2

U96さんの日記

(Web全体に公開)

2018年
07月12日
16:14

クリミア戦争史(その20)

 当時戦時相だったシドニー・ハーバートは、その権限を行使して、ナイチンゲールを在トルコ英国軍の野戦病院で働く看護婦の総責任者に任命しました。ただし、クリミア半島は彼女の責任範囲に含まれていませんでした。つまり、戦争がほとんど終結を迎えようとする1856年春になるまで、ナイチンゲールクリミア半島における医療活動に関して何の権限も持たなかったのです。そもそも、ナイチンゲールの立場は微妙でした。ハーバート戦時相からは、現地の看護態勢を監督し、陸軍医務当局のやり方に不手際があれば直接に報告するよう指示されていたが、彼女は公式には軍隊の階級序列に従うべき身分でした。その陸軍当局は看護婦が前線に近づいたり、前線付近で働いたりすることに基本的に反対していました。ナイチンゲールの改革が成功するかどうかは軍隊の官僚機構との力関係にかかっていました。両者の戦いは熾烈を極めました。ナイチンゲールは生まれながらの指導者として他人を強引に支配するタイプの人物でしたが、たとえそうでなかったとしても、陸軍医務局の当局者たちに一目置かせて医療改革を実現するためには、看護婦たちを独裁的に支配管理する必要がありました。当時の英国にはトルコ派遣の要請に応えて有資格の看護婦を供給し得るような職業団体は存在しなかったので、ナイチンゲールは、ハーバート夫人エリザベスの協力を得つつ、自力で看護婦団を組織しなければなりませんでした。参加する看護婦を選別するにあたって、彼女は冷徹な機能重視の原則を適応しました。ナイチンゲールが優先したのは下層階級出身の年若い女性たちでした。現地の厳しい環境に耐え、本気で困難な仕事に立ち向かうことのできる女性が必要だったのです。次に、看護の経験を持つカトリックの修道女たちを採用しました。若い女性を監督する役を務めさせるためであり、また派遣兵士の三分の一を占めるアイルランド系カトリック教徒への配慮でもありました。ただし、数百人規模で志願してきた中産階級の善意の女性たちは一人も採用しませんでした。感受性の鋭敏な中流婦人の「扱いの難しさ」を恐れた結果でした。
 ナイチンゲールと38人の看護婦がイスタンブール近郊のスクタリに到着したのは1854年11月4日でした。バラクラヴァの戦い(10月25日)で負傷した兵士が大量に海上輸送されて入院した直後でした。スクタリのめぼしい建物はすでにフランス軍が病院として接収していたので、英国軍の野戦病院用に残されたのは荒れ果てた狭い建物だけでした。。汚れた床の上に隙間なく並べられたベッドとマットレスの上には、重傷者と軽傷者、軽症の病人と瀕死の病人が区別なく折り重なるように寝かされていました。多くの病人が下痢に苦しんでいましたが、トイレの施設としては、病棟内と廊下に大型の木桶が置かれているだけでした。水道管が老朽化して破損したために、水の供給は事実上止まっていました。暖房システムも壊れていました。ナイチンゲールが到着して数日以内に、状況はさらに悪化しました。インケルマンの戦い(11月5日)で負傷した兵士が数百人規模で運び込まれ、病院の収容能力が限界を超えたのです。毎日、50人から60人の割で死亡者が出ました。息を引き取った患者はすぐに毛布にくるまれて病院裏の共同墓地に埋葬され、空いたベッドには別の患者が運び込まれました。看護婦たちは不眠不休で働きました。兵士たちの体を洗い、食事と薬を与え、今わの際には慰めの言葉をかけました。多くの看護婦が勤務の緊張に耐えきれず、深酒を飲むようになりました。ミス・ナイチンゲールの専横な支配を非難し、召使いのような下働きの仕事に不満を漏らす者もありました。ナイチンゲールは、不満分子が出ればすぐさま本国に送り返しました。
 12月末、看護婦の第二陣が到着して、ナイチンゲールの看護団に参加しました。これと同じ時期に、『タイムズ』社のクリミア基金を自由に利用する権限がナイチンゲールに委ねられました。スクタリの各陸軍病院のために医療用品と薬品を購入することが可能になりました。これにより、ナイチンゲールは軍事当局の妨害を受けずに自分の判断で活動することができるようになりました。軍事当局は劣悪な医療態勢から脱却するために、ナイチンゲールの資金力と行政能力を利用したのです。ナイチンゲールは確かに優れた管理能力の持ち主でした。後年ナイチンゲールを偶像視して美化する人々は、当時の英国の軍医、手術助手、調剤師たちが野戦医療に貢献した事実を完全に無視する一方で、ナイチンゲールの功績だけを過大に評価する傾向があるが、とはいえ、スクタリの中央病院の惨状を改善するための道筋をつけたのがナイチンゲールであったことは間違いありません。調理場のあり方を一新し、新規にボイラーを購入し、トルコ人の洗濯女を雇ってその仕事を監督し、病棟の清掃状態を監視するなど、休む間もなく24時間働き続けただけでなく、毎晩病棟を巡回し、傷病兵にキリスト教徒としての慰めの言葉をかけるナイチンゲールは、「ランプを持った貴婦人」の呼び名で広く知られるようになりました。しかし、彼女のあらゆる努力にもかかわらず、死亡率は驚くべき速度で上昇していました。翌年1月には、駐留英国軍の全兵士の10パーセントが病気で死亡するという事態になり、2月に入るとスクタリの英国軍野戦病院の患者死亡率が52パーセントに達しました。前年11月にナイチンゲールが着任した時点の死亡率が8パーセントだったことを考えれば、恐るべき上昇率でした。11月のハリケーン以降の冬四カ月の間にスクタリの各病院で合計4000人の英国軍兵士が死亡したが、その圧倒的大部分の死因は負傷ではなく、病気でした。実態を知って、英国の世論は沸騰し、『タイムズ』紙の読者は説明を要求しました。英国政府は、3月初め、衛生委員会をスクタリに派遣して調査を開始しました。結果、スクタリの中央病院は汚水溜めの上に建っており、下水が漏れて飲料水に混入しているという事実が判明しました。ナイチンゲールはこの危険を見落としていたのです。彼女は病気の伝染源は汚染された空気であると信じていたのです(コッホがコレラ菌を発見するのは1883年になってからだった)。傷病兵が生き残る確率は、スクタリの病院に収容されてナイチンゲールの看護を受けるよりも、トルコ国内のどこか別の村に収容される方が高かったのです。
(つづく)

コメント

2018年
07月12日
16:24

ナイチンゲールは看護力だけでなく、施設や組織の運営力が高かったのですね。

2018年
07月12日
16:35

2: U96

>ディジー@「本好きの下剋上」応援中 さん
はい。彼女のマネジメント能力は評価できると思います。

2018年
07月12日
18:07

3: RSC

この姿を逆に面白おかしく更に歪めて書き上げると、某ゲームのナイチンゲールになる様です。

2018年
07月12日
18:54

4: U96

>RSCさん
すみません。画像検索で「ナイチンゲール ゲーム」と検索してみたのですが、たくさんヒットしてわかりませんでした。何のゲームでしょうか?

2018年
07月12日
21:23

5: RSC

すいませんでした。Fateシリーズに登場するナイチンゲールです。

2018年
07月13日
03:23

6: U96

>RSCさん
ありがとうございます。もう一度画像検索してみます。