待遇の悪さを訴えて、新聞に投書する軍人も現れました。近衛第一連隊のジョージ・ベル大佐は『タイムズ』への投書を書き始めました。11月28日のことでした。
「我々を取り巻いているのは病気、死、物資の不足、塩漬け肉の配給の滞りなど、マイナスの要素ばかりだ。いざという時に兵士を奮い立たせるもの、それはラム酒だが、そのラム酒のこの二日間は一滴も口にできない有様だ。このような状態で英国が勝利する見込みはない。バラクラヴァから陣地までの10キロの道は膝の深さまで泥に埋まっており、馬車の車輪を前に進めることができない。輜重用の動物に与える餌がないので、馬も牛も、たとえ荷物を積まなくても泥の中を進む力がない。騎兵隊の馬も、砲兵隊の馬も、輜重隊の馬も、将校の乗馬も、寒さと飢えのために毎晩何十頭も柵に繋がれたまま死んでいく。馬だけではない。人間もバタバタと倒れている。今日、第一連隊では同じテントで寝ていた兵士のうち九人が死亡しているのが発見された。さらに15人が瀕死の状態だ。彼らはすべてコレラに罹っていたのだ・・・兵士たちの背中は乾く暇がない。ぼろぼろになった制服を着て塹壕に入り、水と泥に漬かって朝まで過ごすうちに身体が骨の髄まで冷えてしまう。兵士が痙攣を起こして倒れると、マルケの野戦病院に収容されるが、嵐で半ば倒壊した野戦病院は病人や怪我人で溢れかえり、不潔で空気が悪く、そこにいるだけで病気になりそうだ。病院に収容された兵士たちも、苦しみながら死んでいくいくしかない。この戦争は決してロマンチックなものではない。謙虚で勇敢な兵士たちの苦しみを和らげ、欠乏を補うことは指揮官としての私の義務だが、私にはその義務を果たす力がない。特に野戦医療の分野では何もかも不足しており、組織も運用も初めからなっていない。医療システムの不備に誰よりも強い不満を抱いているのは、他ならぬ連隊の医療担当者や軍医たち自身である」
ジョージ・ベル大佐は二日がかりで投書を書き上げました。最後の『タイムズ』の編集者に向けて投書の掲載を要請し、次の一文で締めくくっています。「残念ながら、これが戦場のありのままの真実である」。『タイムズ』はベル大佐の投書を12月29日号に掲載しました(投書の日付は12月12日となっていた)。実際に掲載された投書は、内容が薄められ、口調も和らげられていたが、それでも、投稿者のその後の人生を台無しにするには十分だったとベル大佐は後に語っています。
クリミア戦線の傷病兵がまともな医療と看護を受けずに苦しんでいるという事実を英国民が初めて知ったのは、『タイムズ』紙の戦場特派員報告を通じてでした。10月12日の朝刊にイスタンブール駐在の戦争特派員トーマス。チェネリーの現地報告が掲載されました。「クリミア半島の戦場で負傷した兵士たちは500キロ離れた当地スクタリの軍病院に搬送されてくるが、ここでは十分な医療も適切な看護も行われていない。医師の数が足りないのは、状況からしてある程度やむを得ないかもしれない。だが、それだけではない。医療助手や看護婦の姿が見えないのも、組織上の欠陥であって、特に誰かを責めるべき問題ではないかもしれない。しかし、それだけでもない。そもそも負傷兵の傷に巻く包帯の材料となる布地さえないというのは一体何としたことなのか?」翌日の紙面には、編集長ジョン・ディレーンの怒りに満ちた社説が掲載されました。世論は沸騰し、『タイムズ』社には読者からの投書と寄付金が殺到しました。『タイムズ』社はこの寄付金を基礎として「傷病兵救済のためのクリミア基金」(「タイムズ基金」)を設立しました。基金の理事長には、元首相ロバート・ピール卿の子息である同名のロバート・ピール卿が就任しました。『タイムズ』に寄せられた投書の多くが重大な問題として指摘したのは、クリミア派遣軍に看護婦が随行していないという事実でした。それを知って、善意の女性たちが各方面から現れ、従軍志願を申し出ました。フローレンス・ナイチンゲールもそのひとりでした。ナイチンゲールはロンドンのハーリー・ストリートにあった女性のための病院で無給の院長を務めていたが、クリミア戦争の戦時相シドニー・ハーバートとは家族ぐるみでつきあう間柄でした。ナイチンゲールはシドニー・ハーバートの夫人エリザベス宛に手紙を書き、看護婦団を組織してトルコに渡る計画を提案しました。同日、ハーバート戦時相自身もナイチンゲール宛に手紙を書き、看護婦団の編成を依頼しました。二人の手紙が郵便局ですれ違いました。
英国軍は負傷兵の救急医療に関してもフランス軍に大きく後れを取っていました。クリミア半島とイスタンブールのフランス軍病院を訪ねたことのある人々は、その清潔さと整然とした運営に強い印象を受けました。多数の看護婦が医師の指示の下に活動していたが、その大部分が聖ヴァンサン・ド・ポール修道会の修道女でした。「スクタリの英国病院に比べて、ここでは状況ははるかに優れている」と、イスタンブールのフランス軍病院を訪問したある英国人は書いています。
(つづく)
コメント
07月09日
16:44
1: ディジー@「本好きの下剋上」応援中
なんとなくナイチンゲールが英雄化した裏事情が見えてきましたねw
そして よく こんな軍批判を新聞に載せられましたね。
07月09日
17:46
2: U96
>ディジー@「本好きの下剋上」応援中さん
ナイチンゲールは志願してきた看護婦は中産階級出身者は採用しなかったそうです。彼女は合理精神のカタマリでした。
07月09日
21:52
3: RSC
ベル大佐の投書の後に特派員がきちんと調査をして、それが戦時体制下の新聞で報道されたというのが驚きです。
07月10日
04:05
4: U96
>RSCさん
そうですね。大本営発表とかではないのですね。