1884年5月4日、西部戦線ではシャーマンがアトランタへの進撃を始めました。アトランタは南部最大の軍事拠点でした。
シャーマンの兵力は100000。対する南軍指揮官はジョセフ・ジョンストン、兵力は59000。彼は巧妙な遅滞戦術でシャーマンの進撃をよく阻んだが、シャーマンの方でもそれに匹敵する巧妙さで南軍に損害を強いていったのです。7月17日には北軍はアトランタまで13kmの地点に達し、デーヴィス大統領にジョンストンは解任されてしまいました。そして積極攻撃派のフッドが後任とされました。だが、フッドは作戦計画に遅延を来たし、ピーチトゥリー川を渡河する北軍への攻撃に失敗。アトランタは半包囲状態となり、市南東の山からの最初の砲弾で女児が死に、続く無差別砲撃に市民は逃げまどいました。7月22日、北軍南方が手薄なのを見たフッドがこれを攻撃し、北軍でシャーマンらに弟のように愛されていたマクファーソン将軍を戦死させ、もう少しで砲の据え付けられている山を占領するところでした。しかしなんとかそれを死守したシャーマンは、復讐心にも燃えて以後恐るべき冷酷さでアトランタの町への砲撃を続けました。それは最高時で一日5000発に及んだといいます。シャーマンはワシントンに申し送りました。「占領できるかどうか分からないが、どっちにしても用済みの街しか残りませんね」
9月2日、迂回した北軍がアトランタ市内へ突入、アトランタ全市民は強制退去を命じられ、市内は徹底的に破壊され尽くされました。
ピーターズバーグでリーが包囲されている間に、シャーマンは次なる焦土作戦の為の行進を始めました。ジョージア州、サウスカロライナ州、ノースカロライナ州という、南部の主要州であり後背地である地域を、とにかく破壊して進むのでした。
11月15日、シャーマンは62000の兵に100kmの幅をとらせ、まず大西洋への進軍を開始しました。作物、家畜、工場、鉄道などを手当たり次第に略奪し、破壊していきました。シャーマンは書き残しています。「われわれは土地を荒らし尽くし、牛馬は小麦やとうもろこし畑をあとかたもないほど食い尽くした。人々は我らの行く前に姿を隠し、後には荒涼として何もない。戦争とはどんなものか、知りたければ我々の後についてくるがよい」
12月21日には大西洋岸に到着。1865年1月には北に向かって出発し、3月25日までに680kmを進軍、ジョンストンの抵抗を蹴散らして焦土作戦を行ないました。南部諸地域はぼろぼろの状態となり、シャーマンは南部人に深く恨まれる事になりました。
コメント
06月05日
17:36
1: RSC
以前も南軍が鉄道を破壊していましたが、今回の様に完全に破壊を目的として攻撃側が進軍するのは珍しいケースに思えます。
06月05日
19:20
2: 黄金バット
>「われわれは土地を荒らし尽くし、牛馬は小麦やとうもろこし畑をあとかたもないほど食い尽くした。人々は我らの行く前に姿を隠し、後には荒涼として何もない。戦争とはどんなものか、知りたければ我々の後についてくるがよい」
何だか開き直ってるような気がしますw
06月05日
20:44
3: U96
>RSCさん
南軍に策源地を与えないということだと思います。海上封鎖だけでは、密輸船がありましたし。
06月05日
20:45
4: U96
>櫻 弾基地さん
はい。勝者の余裕ですね。