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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2018年
05月29日
02:43

アメリカ南北戦争(その8)

 1862年9月、北部が直面した危機の中で、この時期が最も恐ろしいものでした。北軍の建て直しには時間がかかると判断したリーが、間髪おかずにメリーランド州とペンシルヴェニア州へ侵入したのです。ペンシルヴェニア州へ入って55kmほどのハリスバーグという町は鉄道の重要な結節点にあたり、そこを占領できれば北部は東西に分断される事になります。また、経済封鎖によって南部で手に入りにくくなった食糧や靴や衣類を獲得すること、戦勝によってメリーランド州を南部に引き入れる事も企図されていました。メリーランド州が南部連合に入れば、首都ワシントンは孤立します。
 この危機に際して、マクレランは偶然にもリーの作戦命令書を手に入れていました。だが例によって度を越した慎重さから行動開始が遅く、南軍撃滅の千載一遇のチャンスを逃しはしたが、攻勢分断の為に70000の軍を率いて進撃。
 攻勢進路が背後で分断されそうになり、リーは急遽来た道を戻らねばなりませんでした。分かれて行動していたジャクソンとは何とか合流出来たのですが、それでも北軍より明らかに劣勢な兵力(北軍50000弱、南軍36000)の状態で攻撃を受けざるを得なかったのです。9月17日、アンティータムの戦い(またはシャープスバーグの戦い)の始まりです。

 迫る北軍に対して南軍は、防御に有利と見られた(アンティータム川を挟んでゆるやかな丘陵地や林が広がる地形は、完璧ではないが、防御には悪くない地形だった)シャープスバーグ近辺に、東を向いて半円形に布陣しました。ただ、A・P・ヒルの師団は27km南にいてこちらに向かっています。対するマクレランの作戦は、左右の翼を攻撃し、中央に空隙が出来たところを中央突破するというものでした。これはナポレオン時代の戦術です。
 朝6時のフッカー師団をはじめとして、次々に北軍が南軍の左翼を順番に攻撃しはじめましたが、それは戦力の逐次投入(連携の悪さから結果的にそうなったのだが)以外の何物でもなかったのです。強力な火力の下、次々に兵士は倒れたのですが、リーは内線の利を生かして予備を投入して戦線を押し返しました。中央ロングストリート将軍の戦線で道路を塹壕代わりにしていた兵士たちが北軍の一斉射撃を受け「血塗られた道」となった頃が、予備を使い果たしていた南軍最大の危機であったが、マクレランは予備を投入しませんでした。戦線の南ではバーンサイド将軍が橋に無茶な攻撃を繰り返し、多大な損害を出しており、渡河を成功させた時、南軍にはヒルの師団が到着しました。戦線は安定し、日没と共に戦闘は中止されました。リーは損害を考えて、一旦北部侵攻を諦め、夜中に退却。北軍はそれに朝まで気づきませんでした。
 マクレランは贅沢な予備を持っていましたが、グラントと違って、翌日の追撃を拒否。もし追撃を敢行していれば、南軍を完全に撃滅できた可能性も高く、北部が戦争の早期終結の好機を逃したとの見方もあります。
 アンティータムの戦いは、南軍36000のうち死傷者10700、北軍は50000弱のうち死傷者12400を出す南北戦争最大の血みどろの戦いとなりました。南軍は戦術的には勝っていたと言えるが、損害があまりにも大きすぎました。北部の認識ではリーが退却したことから、北軍の辛勝という見方が一般的でした。事実、リンカンはこの「勝利」を受けて奴隷解放宣言を布告しました。
 アンティータムの戦いは、第2次ブル・ランの戦いののち高まった、諸外国による南部独立承認の動きを粉砕しました。続けて5日後にリンカンは、奴隷解放宣言を布告しました。これは1863年1月1日付けで反乱州の奴隷を全て解放するという宣言です(武力で征服した南部の地域では住民感情を考えて保留とされました)。実質的効果はともかく、政治的にこの布告は抜群の効果を持ちました。以後、諸外国は南部独立承認など出来る雰囲気ではなくなったのです。

(つづく)

コメント

2018年
05月29日
19:42

1: RSC

この頃、ガトリング銃や機関銃は既に実戦で使用されていたのでしょうか。

2018年
05月29日
20:07

>「血塗られた道」
白骨街道とか戦争で色に関する事が出ると何だかいろいろ悲惨な想像してしまう。

現代に近いからなんでしょうね、黄巾の乱とか赤眉の乱は想像すると面白いのに(不謹慎)

2018年
05月29日
20:40

3: U96

>RSCさん
はい。ガトリング・ガンは使用されております。数は揃えられなかったようですね。両軍とも小銃はイギリス、軍服はフランスからの輸入に頼っていました。

2018年
05月29日
20:42

4: U96

>櫻 弾基地さん
別の文献では「血の小径」となっています。英語の原文ではどうなのか?