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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2014年
01月11日
17:44

包囲対抗策における後退

 包囲に対抗する意味での後退とは、いったいどのような意味をもつものなのでしょうか。
 このような後退は大別すると2つあるようです。1つは包囲の危機がそう切迫していない時期において、後退を開始してしまうもの。そしてもう1つは、いよいよ包囲される危険性が切迫した時期において開始される後退です。
 いずれの後退であっても、後退をするという状況は、防御側にとって良いはずがありません。敵の攻撃を破砕して、防御線を保持し続けることが、防御の目的なわけですからね。しかし、戦況我に利せずして、このままでは敵に完全に包囲され、退路を遮断されそうになった場合、防御指揮官としては、どのように対処すべきなのでしょう。その地に留まって戦闘を続ければ、撃滅されると判断した場合、防御指揮官は、指揮下部隊の全滅を回避するため、後退を決意することになるでしょう。
 つまり、防御部隊の崩壊を防ぐ意味で、つまり防御部隊の最悪の事態を防ぐ意味で、後退も敵の包囲に対する対抗策なのです。このような後退行動は非常に困難なものとなるでしょうが、この後退を成功させれば、敵(攻撃側)にとっては、防御陣地は壊滅したものの、我(防御側)の主力を捕捉撃滅することには成功しなかったわけで、完全なる攻撃の成功は得られなかったことになるのです。
 戦史上の戦例でみると、日露戦争における奉天会戦(1905年3月)が、まさにこれにあたります。日本軍はこの戦いで確かに勝利を得たのですが、ロシア軍の主力を包囲して捕捉撃滅することはできず、日本の動員力はこの時点で底をつき、後の講和に禍根を残すことになるのです。
 さて、このような状況における後退ではなく、敵の包囲の危険性が、そう強くない時期における後退ですが、実際の戦闘における後退は、ほとんど、先にお話したような、最悪の事態を避けるための後退であり、敵の攻撃開始とともに後退を行なう場合はそうはありません。ではこのような方法は、どのような考え方によるものなのでしょう。
 まず、後退を企図しているにもかかわらず、その陣地を確保しておく意味は、敵との接触を保っておくこともありますが、後退によって、敵(攻撃側)の補給線を増大させる効果があるからです。敵(攻撃側)が前進すればするほど、補給状態は悪くなるわけです。
 その他、敵の攻撃開始とともに、後退を行なう場合には、その攻撃をまともに受ける力が、防御側にないと判断される時に、行なわれることがあります。つまり、土地を捨てて、部隊の温存をはかるわけです。
 このような戦例に、第2次大戦の独ソ戦、ドイツ軍の「スターリングラードおよびコーカサスに向かう攻勢(青作戦)」の初期におけるソ連軍のドン河への後退戦があります。ドネツ河に戦線をはっていたドイツ軍は、1942年6月28日に攻勢を開始しました。5月のハリコフ戦で痛手を受けていたソ連軍は、これに対してドン河に向けて後退を開始したのです。この後退によって、ソ連軍は壊滅的な打撃を受けることなくドン河東岸に戦線をはることができたのです。またこれをみたヒトラーは、ソ連軍南翼がすでに崩壊したものと誤断し、スターリングラード・コーカサス両方に対する同時攻勢を企図してしまったのです。
 以上、このように後退は、包囲に対する対抗策としては消極的なものですが、やむなく選択すべき状況や、選択した方が有利な状況というものが、確かにあるものと考えられます。

コメント

2014年
01月11日
20:05

後退や撤退というと、どうしても負けている印象です。

しかし銀英伝や三国志でも、後退によって有利な状況を作る作戦もありましたので、指揮官は冷静に判断して後退を選択する必要があるのですね。

2014年
01月11日
20:32

2: U96

>たかたかさん
はい。その他にも遅滞防御というものがあります。つまり、新しい陣地ができたら、後退していくものです。こうして、味方の増援が来るまで時間を稼ぎます。遅滞防御の名人に独ソ戦のカツコフがいます。

2014年
01月11日
20:45

日本で最も成功した撤退戦が、これですね。




米軍が上陸したら、日本軍はいなかったという……。

2014年
01月11日
21:29

4: 退会済ユーザー

なかなか興味深いですね。前進だけが必ずしも戦局を押すとは限らない。昔から引き際の重要性は語られてきた歴史からもそれが事実だとわかります。
戦略シミュレーションゲームなんかをやってるとこういった戦術理論が役立ちそうですね。

2014年
01月11日
22:15

5: U96

>咲村珠樹さん
確か米軍は霧の中で同士討ちをしてしまったのですよね。
それにしても日本軍は戦線を拡大しすぎです。本気でダッチハーバーまでいけると思っていたのでしょうかね・・・

2014年
01月11日
22:25

6: U96

>edelwolfさん
この日記でも出てきたハリコフは独ソ戦中、4回も争奪戦が繰り広げられました。第3次ハリコフの戦いが有名ですが、この戦いではマンシュタイン将軍がヒトラーの死守命令を無視して、後退し、前進してきたソ連軍を側面から戦車部隊で殲滅したのですね。後退と反撃のタイミングが絶妙です。ハリコフは何種類も戦略シュミュレーションゲームが出ております。入手があ容易なものにを挙げますと、もうすぐ、国際通信社から「ドイツ戦車軍団」が再販される予定です。