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U96さんの日記

(Web全体に公開)

2013年
12月04日
20:44

潜水艦くろしお

 海上自衛隊の潜水艦の命名基準は「海象」あるいは「水棲動物」と定められておりました。海象では「~なみ」や「~しお」となりますが、「~なみ」は早くから護衛艦に命名されており、潜水艦は「~しお」になりました。「水棲動物」ではひらがな表記に耐えるよい水棲動物が見つかりませんでした。よって、「瑞象動物」も加え、「そうりゅう」を命名しました。
 それまでずっと「~しお」を命名してきましたが、結果的に「~しお」の隻数は46隻に及びました。よってあまり普段聞かないような「もちしお」とか「おきしお」などを使い、なお足りないので、同じ「~しお」を何度も使うことになりました。
 「~しお」と命名した46隻の潜水艦の種類は27種類、そのうち2隻以上に命名した「しお」は18種類に及びます。その中で3隻3代に渡って命名されたのが「くろしお」で、いずれも海上自衛隊の潜水艦史に大きな足跡を残したタイプに命名されました。

 初代「くろしお」は終戦後10年のブランクを経て、日本が戦後初めて保有した潜水艦でした。それはアメリカ海軍から貸与されたガトーGato級潜水艦の一艦ミンゴMingo SS-261で、日本人の手で回航されました。この時の回航員は幹部は命令、海曹士は募集で編成され、幹部10名、海曹士73名がアメリカに渡り、ニュー・ロンドンの潜水学校で約5ヶ月間教育を受け、言葉の壁に苦労しながら抜群の成績を残し、教官を驚かせました。それも当然の話で、幹部は全員、海曹士も3分の2が日本海軍の潜水艦乗りだったのです。
 こうしてハワイを経由して無事日本に回航され、名実ともに日本が潜水艦を取得したのが昭和30年10月でした。

 2代目の「くろしお」は海上自衛隊の潜水艦建造史の大きな変革になった一軸推進涙滴型潜水艦「うずしお」型の5番艦として昭和49年に竣工しました。「うずしお」型は水中性能を重視し、初めて涙滴型を採用したタイプです。しかし当時の現場には、スクリューを2軸から1軸にすることに強い抵抗がありました。もし1軸しかないスクリューがやられたら終わりだという懸念です。しかしこれは、敵に見つかった時の心配であって、静粛性と水中性能を高め、見つからない潜水艦を建造するべきだという発想の転換があったのです。私は2代目「くろしお」に乗せてもらったことがあります。潜望鏡を覗かせてもらい、カルピスを振舞われたことを憶えております。

 3代目「くろしお」は現在の主力である葉巻型船型潜水艦「おやしお」型の7番艦として平成16年に竣工しました。この艦は静粛性やステルス性、さらには潜水艦を探知できる能力をより向上させております。今も呉を母港に活躍しております。

コメント

2013年
12月05日
21:22

>>私は2代目「くろしお」に乗せてもらったことがあります。潜望鏡を覗かせてもらい、カルピスを振舞われたことを憶えております。

羨まし過ぎます・・・ ウチの奥さんはボクがよく潜水艦に乗ってみたいと言うと、「あんな息が詰まりそうな所のなにがいいの?」とボヤきますけどね(´・ω・`)

2013年
12月05日
21:49

2: U96

>もぐりん。さん
私は海底にひそんで攻撃の機会をうかがう事にロマンを感じます。でも分かります。行きつけの楽器店の店主にも狭い艦内から出られず、水圧の恐怖と戦うのはごめんだ!と言われてしまいました。