おたくの為のSNS おたくMk2

U96さんの日記

(Web全体に公開)

2012年
07月14日
15:19

太平洋戦争 南方のゴム資源

 1916年、まだ第一次大戦にアメリカが参戦を決められずに中立していたとき、ドイツの潜水艦「ドイッチェラント」号が、英海軍の海上封鎖をかいくぐって、米国東海岸に入港しました。そして、積荷の薬品や染料とバーターで、ゴム500kgを持ち帰ったことがありました。わずかなゴムのために、一隻の潜水艦を危険にさらすほどの価値があったのです。
 ドイツは第一次大戦中、木製タイヤを試すまでに、ゴム不足に悩まされました。そこから合成ゴムの研究が促進されました。
 石油やアセチレンを原料とする合成ゴムの製造技術は、第二次大戦の少し前から、急速に進歩しつつありました。しかし、石油もまた、天然ゴムと同様に、地球上での産地が偏在する特権的な資源でしたし、アセチレンからの合成は、生ゴムに比べて3倍のコストがかかりました。
 したがって、各種の合成ゴムが知られた後も、天然ゴムの希少価値はさして減じなかったのです。
 ゴムの最大の需要は、タイヤでした。これが、ゴム資源の半分に使われました。
 戦車には、転輪にソリッドゴムの「輪帯」を巻きます。ゴムの必要量は、軽戦車でも乗用車の6倍に達しました。飛行機にはそれ以上のゴムが必要でした。たとえば、枢要な計器類をエンジンの振動から守るためにも、ゴムのダンパーは欠かせなかったのでした。
 アメリカの資源上のネックもゴムにありました。アメリカ政府は、軍需用のゴムを確保するため、真珠湾攻撃の前からタイヤやチューブの民間販売を制限し、1942年1月末からは、民間乗用車の製造も禁止しました。さらに3月以降、民間からタイヤを徴発しました。また民生用のタイヤの交換を抑制するため、国内では自動車は64km/時以下のスピードで走れという大統領令も出しています。
 「加硫」によってゴムの弾性を増強する製法特許をグッドイヤーが取得したのは1841年。ゴム袋をズック布で包んだPneumatic tyre(空気入りタイヤ)を英国人ダンロップが発明したのは1888年です。欧州では自転車に最初に採用されましたが、明治期の日本では、人力車の機動性と乗り心地を、飛躍的に高めることになりました。
 明治41年、神戸にダンロップの工場が建設されて、以後ようやく、大阪を中心にゴムの内製化が進みました。まだ合成ゴムの競争が始まっていなかったので、技術を持たない零細企業が容易に参入できたそうです。ゴム鞠やゴム風船が日本に普及するのも、明治40年代以降のことです。
 大正時代には、地下足袋の裏底にゴムが貼り付けられるようになりました。自動車後進国の日本では、履物用のゴムの消費が、自動車タイヤ用のゴム消費より多かったのです。
 こんな市場構造の後進性のため、日本ではなんと昭和14年になっても、高性能な合成ゴムを作る工業が存在していませんでした。先進国では生ゴムの輸入が途絶えたら、合成ゴムの増産ができたのですが、日本では、生ゴムがなくなれば、戦争の継続は至難でした。政府がその状態を放置してきたのは、陸海軍ともに、複数の先進国と2年以上の長期戦など、一度も考えたことがなかったからでした。
 かくして「ゴムの確保」が、日本が南進すべき理由の一つに標榜されて、それが説得力をもつことになったのです。

コメント

2012年
07月14日
19:40

アメリカも第二次大戦中、一般家庭から金属供出ならぬ「ゴム供出」をしてましたものね。不要になったゴム製品を回収し、再生ゴムとして使ってた訳ですし。
アルミもやはり不足がちで、金属供出があったとか。

この写真はキ-43「隼」の主車輪のゴムタイヤ(昭和19年2月・日本タイヤ製)ですが、かなり硬化してます。ホイールには塗装が残ってますね。

2012年
07月14日
19:48

2: U96

>咲村珠樹さん
なんと昭和19年2月製造なのですか…貴重な写真、ありがとうございます。
…今でも自動車は、水と油とゴムが大丈夫なら安心していいと言いますね。

2012年
07月14日
22:04

3: 退会済ユーザー

戦争とは消費一辺倒の経済活動・・・
ってガンパレードマーチのセリフにあったなあ~~

2012年
07月15日
00:06

4: U96

>倶利伽羅いちろうさん
いいことを言うゲームですね。
やがて国民に耐乏生活を強いるのですが…

2012年
07月15日
08:50

5: 退会済ユーザー

戦時中のゴムについては、まったく知識がなかったので、今回勉強になりました。

2012年
07月15日
09:07

6: U96

>さかぐちさん
日本はドイツへの援助物資としてゴムを送っていたのですね。見返りにレーダー逆探知装置などが提供されました。

2012年
07月16日
07:56

私の恩師が戦時下の靴はゴム底が
薄いのですぐに穴が開いたと
仰っていたのを思い出しました。

2012年
07月16日
08:04

8: U96

>ヤストさん
日本の敗因を海上交通網の破壊にあげることが多いです。きっと輸送船が米軍の潜水艦に撃沈されていたのでしょうね。南方からの石油輸入が昭和20年にはついにゼロになりましたから、ゴムも同様でしょうね。