パーマストン首相はクラレンドン外相に書簡でロシアの首席代表オルロフ伯爵について警告しています。
「オルロフのことはよく知っている。表面的には礼儀正しい文明人に見えるが、その内容は、尊大で、傲慢で、高慢な典型的ロシア人であり、人に気づかずに弱い者いじめをするのが得意なタイプだ。自分の主張を通すためなら、どんな手段でも使う。しかも、中途半端に文明化した野蛮人として、あらゆる手練手管に通じている」
しかしながら、パーマストンのこの強硬姿勢には、フランス人だけでなく、イタリア人も辟易していたのです(ピエモンテ・サルデーニャ王国の国王ヴィットーリオ・エマヌーレ二世はパーマストンを「獰猛な野獣」と評していた)。和平の実現に熱心だったフランスは、ロシアに懲罰を与えようとする英国の方針に同調するつもりはありませんでした。実はフランスはイタリアに関するナポレオン三世の計画を実現するためにロシアと和解する必要がありました。ナポレオン三世はイタリア統一に同情的でしたが、イタリア統一の混乱に介入し、サヴォアとニースをもらってしまおうと考えていたのです。フランスはナポレオン戦争時代の1792年にサヴォアとニースを併合したのですが、1815年のウィーン条約によってピエモンテ・サルデーニャ王国に返還させられていました。サヴォアとニースを再びフランスに併合するためには、サルデーニャ王国によるイタリア統一の戦いを支援する必要がありました。サルデーニャはロンバルド・ヴェネト王国を征服してオーストリアから奪還し、最終的にイタリア全土をハプスブルク帝国の支配から解放して、イタリア統一を実現しようとしていました。その際、オーストリア軍をイタリアから排除するためには、オーストリアの動きを牽制するためのロシアの支援または武装中立が不可欠で、したがって、フランスはロシアに対するパーマストンの懲罰的な姿勢に同調することができませんでした。
(つづく)
コメント
10月25日
19:52
1: ディジー@「本好きの下剋上」応援中
ニースは今ではフランスに無くてはならない観光地ですものね。
しかし統一したイタリアが数十年で世界大戦の主役になるとはナポⅢ世も吃驚だ!
10月25日
19:59
2: RSC
ナポレオンの頃だとあのミュラが統治していた頃でしょうか。
10月25日
20:00
3: U96
>ディジー@「本好きの下剋上」応援中さん
はい。国の帰属が変わる度にその国に同化しなければならないヨーロッパ人は気の毒ですね。
世界大戦の主役にはなりましたが、兵器が欠陥品で、分隊に兵が12人もいて、数でなんとかしょうとする軍隊です。
10月25日
20:04
4: U96
>RSCさん
ミュラはナポリ王です。