史実では、東部戦線にはヨーロッパ方面師団が派遣されています。この師団は、通常編成に加えて、①機械化砲兵連隊1個、②迫撃砲大隊2個が加えられ、黒シャツ連隊が削除されています。この編成についても、
1、歩兵の近接戦闘力が充分ではないこと=ソ連軍は特に1943年以降、短機関銃を大量に配備しており、短機関銃の配備のないイタリア軍との差は歴然です。
2、対戦車火器が弱いこと=1941年の間はたいして問題にならなかったのですが、これはソ連軍の戦車の過半数を軽戦車が占めていたので、イタリア軍の47mm対戦車砲でも対処可能な場面が多かったこと。また、ロシアの地形は、待ち伏せに適しており、47mm対戦車砲の有効射程までひきつけてから射撃することも可能な場面が多かったことによります。
しかし1942年以降は、T34戦車が主力になり、さらにソ連軍の近接歩兵火力の増大で、対戦車砲員が歩兵にやられることが多くなり、有効な待ち伏せを行うことが難しくなったことに原因があります。東部戦線には大量のドイツ軍が配備されており、反撃力がないことは、このことで相殺されます。
この2点が問題です。また、迫撃砲はかなり充分な数が配備されています(ドイツ軍歩兵師団1939年型1個師団の81mm迫撃砲の装備定数は54門。1944年型1個師団の場合で48門。これに対して、イタリア軍の場合、45mm迫撃砲が126門装備されていました)。
基本的な東部戦線でのイタリア軍の役割は戦線の防衛です。攻撃や突破された場合の反撃はドイツ軍が行うことが基本です。また、戦車を含む敵の攻撃に対しては、戦術的な反撃もドイツ軍の戦隊に行ってもらうことになります。このため、イタリア軍は歩兵近接火力を強化して、歩兵による攻撃に対しては、充分な防御力と戦術的反撃力を保有し、戦車を含む攻撃に対しても敵に大損害を与える対戦車火器を保有し、作戦、戦略的な突破をされた場合には、現地点を固守しドイツ軍による救援が行われるまで、現地点を固守できる対戦車火力と歩兵火力を保有することができるようにするというのが装備改編の方針になります。
1、ドイツ製装備による強化。①短機関銃:1個師団に500丁。1個歩兵分隊に1丁。②軽機関銃:1個師団に250丁。1個分隊に1丁。③小銃:1個師団に7000丁。
2、イタリア製90mm高射砲の配備:1個師団に12門=各歩兵大隊に2門。
3、イタリア製47mm対戦車砲の配備:1個師団に48門=各歩兵大隊に8門。史実よりも24門多い。
4、イタリア製軽戦車1個大隊の配備:45両(北アフリカ方面師団の史実)。対歩兵戦術反撃用兵力および機動対戦車部隊の護衛。
5、イタリア製20mm両用砲の配備:48門(史実の8門より40門多い)。
結論として、上記シミュレートを実施する場合、①ドイツ製短機関銃MP38・40の合計約35000丁、②ドイツ製軽機関銃MG34・42合計約17500丁、ドイツ製モーゼル小銃約49万丁が必要になります。これらドイツ製兵器のドイツでの生産数は、時期にも異なりますが、第2次世界大戦を平均して、短機関銃は、月約1万丁(総生産数100万丁)。軽機関銃はMG34で月5000丁(1944年まで総生産数35万丁)、MG42は月約1万丁(1942年生産開始。総生産数42万丁)、モーゼル小銃は月12万5427丁(総生産数1500万丁)です。
現実に武器供与ができるかどうかは、イタリアが見返りに、例えばドイツ軍の後方地域の治安維持を行うとかいう具体策をとり、ドイツの負担を軽減することで、外交交渉しだいで十分可能と思われます(完)。
コメント
09月03日
20:49
1: RSC
もし実現していたらサヴォイア騎兵連隊の伝説の勝利は無かった代わりに、もっと別の結果がもたらされていたかも知れません。
09月03日
21:34
2: U96
>RSCさん
おお!最後の騎兵突撃ですね。
実は東部戦線の補給は馬ゾリにたよっていたのですから、騎兵から輜重部隊へ転換とかも・・・ダメだ!騎兵はエリート部隊だから、納得しないでしょう。馬具だって兵の自弁だし。