【1500名の艦長】
第二次大戦中、ドイツ潜水艦によって合計2775隻の商船が沈められるか重大な損害を受けるかしました。
このうち800隻は、30人のUボート艦長の戦果です。大戦を通じて、Uボート艦長を務めた者は1500人前後に及びました。わずか2パーセントに相当する艦長が、戦果の30パーセントをもたらしたことになります。
豪胆、沈着冷静、部下に対する統率力、非凡な戦術手腕、攻撃精神といった艦長の力量いかんで、戦果が大きく左右されることが潜水艦戦の特徴です。大戦中に竣工したUボート数は計1171隻。1939年9月に大戦が始まったとき、ドイツ海軍が保有していたUボートはわずか57隻だったので、艦長の育成は重大問題でした。
前述の30人の艦長のうち、1927年までに海軍入りした者は8人。1930年から34年の間に海軍に入った者が19人1935年組が3人。ヒトラーが首相になったのが1933年1月、再軍備宣言が35年3月です。ということは、これら有能なヴェテラン艦長達はいずれもドイツ再軍備宣言前に海軍に入った人びとということになります。
彼らはみっちりと時間をかけて、海の男に育て上げられた人びとです。最盛期には毎日1隻ずつUボートが進水していました。そうなると、これら新造艦の艦長育成は即席にならざるを得ませんでした。いかにして短期間で有能な艦長を育て上げるか、これがドイツ海軍の課題となりました。
ドイツ再軍備宣言以前に入ったUボート艦長と大戦が始まってから海軍に入ったUボート艦長の2人のケースを紹介して、Uボート艦長の育成方法を見ることにしましょう。前者はヴォルフガング・リュート大佐、後者はヘルベルト・ヴェルナー少佐です。
【手間ひまかけた時代】
リュートは海軍士官コースに合格して1933年4月、20歳で海軍入りをしました。同期生は160人。まず海兵団で3ヶ月にわたり、海軍士官になるための訓練を受けました。
このコースは、デンマーク東南にあるシュトラルスウントの海軍学校に入り、基本訓練ののち、デンホルム島の陸上歩兵訓練学校に移りました。基本訓練コースが修了すると、練習帆船に乗って3ヶ月の海上訓練を受けます。
帆船での訓練を修了したところで、練習艦カールスルーエに乗艦して8ヶ月間の練習航海に出ます。練習航海から帰国後は海軍兵学校に入り、ここで10ヶ月間学びます。
海軍兵学校はユトランド半島の東側にある港町、フレンスブルク近くにあります。本館は入江に臨む高台に建てられた赤レンガの壮大な建物で、生徒達は「赤い城」と俗称しました。海軍兵学校卒業後は、各種の術科学校で6ヶ月にわたる基礎専門教育を受け、各艦に配属されました。リュートの場合は巡洋艦ケーニヒベルクに配属になりました。この艦内勤務10ヶ月を経て、少尉に任官しました。
少尉任官の3ヶ月後、潜水艦部隊に配属されました。Uボート乗組員になるためには、ノイシュタットの潜水学校での9ヶ月間の基礎訓練に続いて、さらに水雷学校で4ヶ月の教育を受けます。水雷学校を卒業すると中尉に進級し、初めてUボートに乗り込みました。
リュート中尉の場合はU-27で、配置は先任士官。これは副長補佐のような配置で、平時には潜水艦の見習い士官的な存在です。5ヶ月の後、U-38の副長(日本海軍では潜水艦等の次席指揮官を先任将校と呼んでいた。この場合の副長に対応する配置。米海軍も副長と称した)。副長は航海長と水雷長を兼ね、艦長になる前のポストです。U-38の艦長はハインリヒ・リーベ大尉。リーベ大尉は第二次大戦中30隻の商船を沈め、Uボート・エースのベストテン入りをする艦長でした。
U-38副長となった10ヶ月後、第二次大戦が始まりました。開戦から3ヶ月が経過した1939年12月、リュートはU-9艦長になりました。海軍入隊から6年、26歳でした。
【急速養成時代へ】
さてそれでは第二次大戦勃発後、海軍に入った者はどうか。
ヘルベルト・ヴェルナーが海軍士官コースに入ったのは1939年12月。デンホルム島にある海兵団に入団した彼の同期生は600人でした。ここでの3ヶ月の基礎教育と、続く3ヶ月の帆船訓練はリュートと同じです。
3ヶ月の帆船訓練の後、機雷敷設艦で訓練を受けてイギリス海峡の機雷掃海作業に従事。海軍入りして1年後の1940年12月末、海軍兵学校に入校。入校時に少尉に任官しました。このときすでに兵学校での教育期間は5ヶ月に短縮されていました。
ヴェルナーの同期生の大多数がUボート部隊に配属されました。彼はキールに司令部を置く第五潜水戦隊に配属され、最後任士官としてU-557に乗り組みました。
Uボート部隊への配属から7ヶ月後、ケーニスベルクにある潜水学校へ転任。ここで2ヶ月間、将来の艦長としての教育訓練を受けました。修了後、海軍兵学校内にある水雷学校で6週間にわたって潜水艦戦術、無線通信の訓練を受け、卒業と同時に中尉に進級。
中尉に進級後は砲術学校で2ヶ月間学び、1942年5月U-612の副長に。U-612の先任士官は同期生だったのですが実戦経験がないため、ヴェルナーが副長になりました。U-612の乗組員50人中、3分の1は実戦経験がありませんでした。決結局、ヴェルナーがU-415艦長になるのは1944年4月。海軍に入って4年半後でした。
戦争が苛烈化し、艦長が大量に養成せねばならなくなり、リュート艦長のような手間ひまかけた養成は無理です。
ヴェルナーがUボート艦長になるため訓練部隊に派遣されたとき、受講対象者のうちUボートの先任士官や副長経験者は2人だけで、ほかは駆逐艦や掃海艇乗り組みの士官、それに参謀として勤務する士官達でした。
Uボートで3年間の経験を積んだ者を艦長に仕立てる従来の体制は、1年間の潜水学校や訓練部隊での教育訓練のみで、艦長を育成する体制に変わったのでした。
コメント
02月17日
20:38
1: 退会済ユーザー
「サウンドオブミュージック」や「トラップ一家物語」の主人公のモデルになったトラップ夫妻の旦那さんの方は第一次大戦中、オーストリア海軍の潜水艦の艦長だったそうですが、こーゆー訓練を受けていたのかなあ・・・・
02月17日
20:48
2: U96
>倶利伽羅いちろうさん
たぶん6年間みっちり鍛えられたと思います。
02月17日
20:50
3: RSC
Uボートの艦長になるには少なくとも階級は何処まで必要だったのでしょう?
02月17日
20:54
4: U96
>RSCさん
大戦初期は大尉です。大戦末期になると中尉です。